パンデミック後の新世界を作るために (foussin’s blog)

(『見捨てられた世代』からの提言)

08.先物取引のリスクを生産者に押し付けるべきではない

 2020年7/27(月) 大坂で先物の総合取引所が始動。日本国内の先物取引の近年の出来高は、2005年と比較すると6分の1にまで縮小していて、これを機に巻き返しを図る狙いがあるとのこと。しかし、世界の潮流に乗ることが、市場にとって本当に良いことと言えるのか・・・ ここでは、敢えて疑問を投げ掛けておく。

 産業構造を、内需重視の地産地消型モデルへ移行するとなると、物価は次第に地域差が生じてくる。その時、投資家や商社がどう動くかが問題になってくる。資本主義者の行動を放置すると、あっという間に元の「格差拡大経済」に戻ってしまうからだ。そうならないように、モラルという足かせが必要だ。

 商品価格の暴落によって生産者が赤字に追い込まれるというのは、よくある話だ。しかし、デリバティブなどによって値下げを煽ったのは、元々は投資家や商社であって、生産者ではない。企業努力が足りなかったからだ・・・ などと言う者もいるが、よく考えるとそれは資本主義者の身勝手な言い分に過ぎないことに気が付く。
 資本主義は、生産者に対して究極まで合理化・効率化を要求する。だが、それは平常時の状況をベ-スとした未来予測であり、不測の事態に陥った時には「遊び」が少なすぎて大損害を被るリスクがある。それが資本主義者が主張する「企業努力」の正体だ。

 つまり、効率とリスクはトレ-ドオフの関係にある。究極の効率化は「ハイリスク・ハイリタ-ン」で成立する時案なのだ。現に、今回のコロナ・ショックでは多くの生産者が余剰生産を抱え、大赤字を出している。資本主義が要求する効率化には、本来なら投資家が引き受けるリスクを労働者に押し付けている面があることを認識すべきだ。
 我々は知らぬ間に資本主義に洗脳されていた。大衆はそろそろ目を覚まして、自分の頭で考え始める必要がある。

 価格が高すぎれば需要側は買うのを控える。逆に安すぎれば供給側は売らない。それが自由競争市場の原則。が、民主的配慮をしない一部の企業や国家が外部からしゃしゃり出て過剰供給を始めると、善良な生産者がトバッチリを食わされる。
 外部要因の突然の参入が世界のバランスを崩してしまう。商品価格が生産コストより安くなって喜ぶなんて許せない話だ。まずは生産者を心配すべきだろう。本来ならば、その損失分は投資側が責任を持って埋め合わせるべきだ。真面目な生産者が意欲を無くして廃業してしまう前に・・・。
 現在の商取引には歪みが生じていると思う。ITテクノロジ-や金融工学が常識となっている今、商取引の勝負の別れ目は、元手(資本)の大きさと取引スピ-ドで決まってしまう。だが、その勝負ごとは、本当に社会の役に立っていると言えますか?