パンデミック後の新世界を作るために (foussin’s blog)

(『見捨てられた世代』からの提言)

ショック・ドクトリン=民主主義の破壊(シカゴ大学考案)


2024/04/20 sat:pv2043【記事総数:137(当記事含む)】

 前回の投稿から4日経つけど、pv が 1 しか増えてない。通報でもされたんでしょうか。誹謗中傷をした覚えはないんだけどなあ。むしろ国民の方が被害者だと思うんだけどなあ。それとも…

 先日、NHK Eテレ で『シカゴ大学』のプロモーションみたいな番組をやっていたが、そのスローガン『破壊的イノベーション』について、1つだけ異議を表明する。

 今は『反論の意』を表明するだけにする。急いだ理由は『補選』が近いためだ。今回は『拙速』を重視した。自民党を中心とした新自由主義を肯定する内容として、シカゴ大学ネタの放送が利用(悪用)される心配があると思ったのだ。

 まあ、拙速と言っても2~3日は推敲を繰り返してからアップしてるので、荒唐無稽な事は書いてない筈。もちろん可能性の範囲で書いているので断言はしないが、当事者の心を揺さ振る効果はあると思っている。


 経済学に持ち込んだ破壊的イノベーションが『ショック・ドクトリン』であり、新自由主義である。だがこれは、市民を幸せにするどころか不幸をまき散らす人災になっている。これを利点だと思っているのは権力者だけだ。つまり、

 新自由主義は『反・民主主義』である。

 シカゴ大学は、いい事ばかりやってる訳ではない。新自由主義や『ショック・ドクトリン』を仕掛けた総本山でもある。その政策集団こそ通称『シカゴ・ボーイズ』だ。

 それを放送で言わないのは『国民に対する公平な放送』とは言えないと思う。で、それを言っちゃうと教授が番組に出てくれないというのなら、それも含めて放送すべきだと自分は思う。


 つまり、彼には『御用学者』の疑いがあると。


 自分の出身校に疑惑が出ている事について真摯に向き合えない『権威』など、自分は絶対に認めない。長所はパブリックに開かれているが『闇は隠す』と言うのなら、それは民主主義ではない。もしくはテレビ局(NHK)が忖度したか…

 つい先日、『100分de名著』で『ショック・ドクトリン』を扱ったばかりの Eテレが、まさかこんな事をするのかと、ちょっとショックを受けている。多様性の尊重の前に、権力者の意見が紛れ込んでいないか…そこをチェックする事を忘れていませんか?

 以前、Nスぺ・混迷の世紀13回『世界"債務危機"は止められるか 投資の方程式』という番組を観たが(2023.11.19.sun放送)、そこでシカゴ大学の経済学者のコメントを紹介していた。しかし、彼の発言には『悪意』しか感じなかった。これが何の咎めも受けずにスルッと放送されていた事に自分は不安を感じた。

 ショック・ドクトリンは破壊的イノベーションではなく『ただの破壊』である。特に民主主義を骨抜きにして『権力を優遇』し過ぎている。これが犯罪行為にならないのが、自分には不思議なぐらいなのだが。

 そして、論理よりも閃きを重視するのが『破壊的イノベーション』だと説明していたが、ここに『大きな落とし穴』がある。

 要するに、論理を一番否定したがる人種は、実は『権力者』なのだ。強引に権力に都合がいい方向へミスリードされる危険は無いのか…そこに触れずに安易に『破壊的イノベーション』を肯定するのは非常に危険だ。


 例えば、論理的説明を省いて、ただただ「これはいい事なんだ」と繰り返すのは、これはただの『洗脳』だ。一番最初にそこに触れておくのが筋だと自分は考える。特に相手が『拒否反応』を示している時にそれをやるのは、それはもはや相手の『自我の否定』である。

 ショック・ドクトリン新自由主義は「善意の団体である我々国際機関がいい事だと言ってるんだから信じろ」の一点張り+資本力で強引に推し進めてきた経緯がある。それを忘れてはならない。

 相手が異議を表明している時、それを説得するには論理的な説明で相手を納得させるのが社会のルールだろう。それをしないで『訳の分からないロジック』を強要してくるのは説明責任の放棄…ていうか、論点を巧妙にすり替えた『アイロニー詐欺』とでも呼ぶのが適切なのでは?

 これは破壊的イノベーションではなく『社会規範の破壊』だ。

 例えば、宗教は常に権力に悪用されてきた。宗教には論理が必要ないので、権力者が「儂は神の化身である」みたいに、いい加減な事を言って信者を支配してきた歴史がある。

 例えば、1人の学者が『権威』を築いた後で、それ以降は『論理を全否定するのが当たり前の社会』にしてしまえば、彼の権威は永遠に保障される。これが『御用学者』を生み出すカラクリなのでは?

 『破壊的イノベーション』も権力側にとっては都合が良すぎる下地を持っている事に気付く必要がある。そして論理的発想の否定は、そのまま『民主主義の否定』に繋がり易い。これもまた権力者には都合がいい。


 つまり、論理軽視の裏に『権力の正当化』が隠れている。


 これ、権力者が発明した乱暴極まりない『詭弁ロジック』でしょ。論理を否定してもいい事にしちゃえば、民主主義を無価値なものにまで落とす事ができちゃうのだ。

 よく考えれば、新自由主義のロジックには全てが納得いかない。こっちは全然納得してないのに「これでいいのだ」と強引に価値観を押し付けてくる。これでは完全に『対話の拒否』じゃないか。人間の言葉として成立していない。

 それで気が付いた。アニメ『葬送のフリーレン』に出てきた魔族みたいな事しか言わないな、こいつらは、と。ネット的に disるなら「こいつら頭おかしい」…こう言うのがピッタリだ。論理が通じないのでは対話もできない。

 それが政治家だった場合は、もう『選挙で落とす』以外に方法はない。政治家の仕事は国民との対話だ。それを忘れるとは本末転倒だろう。

 シカゴ大学は、この点について学生同士でちゃんと議論していないのではないかと自分は疑っている。で、シカゴ大学というのは、実は権力に忖度する御用学者を量産する『洗脳メソッド教育システム』になっているのではなイカ? と自分は疑っている…

 もっとハッキリ言うなら、

権力者:「民主主義を破壊するにはどうすればいい?」

という問いかけに、

「それなら論理の否定を正当化するのが簡単でしょう」
「私は論理よりも閃きを重視するのだ!…とか言っとけば良くね?」
「これで論理で反論してくる国民も黙るでしょう(笑)」

…とでもアドバイスしたのでは? そしてその見返りに自分も権力を手にする側になったと。論理を否定できれば、相手の文句に論理だてて説得する必要すらなくなってしまうのだ。

 これは社会の前提ルールの破壊である。信用という尺度の破壊である。そして対話による問題解決の放棄である。で、これを政治家がやったとしたら、それはもはや独裁である。政治家の仕事は国民との対話だ。それを忘れるとは本末転倒だろう。


 問題は、自民、小池(都知事)、芳野(連合)、維新、経団連等の全てが国民の要望に応えようともせず(増税スパイラルをやめない)、論理ではない何かで自己正当化してくる事だ。これを自分は『破壊的イノベーション』的なロジックを悪意で利用していると結論を出した。特に酷いのが岸田(現首相)だ。

 ところが、この手法は『非常に幼稚』なため、いったんバレてしまうと2度と信じてもらえなくなる。要するに『狼少年』扱いだ。幼稚な権力者、幼稚な王様が権力を維持するためには、それを無条件で支える『従順な暴力機関』が必要だ。プーチンみたいに。これがキナ臭い今の世界情勢を端的に示している。

 結局、破壊的イノベーションを試すのは自然科学だけに限定すべきだ。政治経済の世界で試すのは『民主主義の破壊』であり『権力者の横暴』に繋がる。

 で、真面目な論理だてに戻して言うと、権威や権力者にとって都合のいい社会というのは、市民に教育格差、情報格差を強要する事が日常化し(重要な事を教えない)、人類全体にとっては『停滞』を意味する。これは不健全な社会だと自分は思う。

 そして今回の『シカゴ大学』ネタに絡んで、自分は次のような事を考え始めた。

今後の主な内容(予定):

  • シカゴ大学の経済学は民主主義を破壊している
    (それはイノベーションではない)
  • 現代経済学(特に自由貿易)は楽して大国が儲けるための
    『オブラートにくるんだ帝王学』に過ぎない
  • ノーベル賞は先進国の国益を最優先した政治ショー
  • 外国にだけ『利他主義』をさせようとするジャック・アタリEUの欺瞞…
  • 人口構造物の過剰建設は『持続可能社会』に逆行する
  • 個人用・家庭用・会社用発電機の普及こそ『持続可能社会』の正しい針路
  • おそらく世界GDPの半分以上は『無駄遣い』だ
  • 持続可能社会を作るなら『デフレ・イノベーション』が必要
  • 世界中の財閥は解体すべき(中央集権的な集金システムの破壊が必要)

 
 とりあえず、箇条書きを見るだけでも、事の重要性は伝わると思う。民主主義者が考える破壊的イノベーションとは『中央集権的な集金システムの破壊』を実現する事だ。これこそイノベーションと呼ぶに相応しいだろう。

 なんて事だ。プロパガンダは、まだ全然潰し切れていない。まだこんなに、たくさんある…詳しくは、いつか必ず書きたい。多少は内容が変わるかもしれないが、大筋は箇条書きの通りになるだろう。ただ、かなり時間がかかりそうだ…