パンデミック後の新世界を作るために (foussin’s blog)

(『見捨てられた世代』からの提言)

04.全世界が協調し「債権の強制的物価連動値下げ」の実行を提案

 具体的には、既に実施した先進国による物価引き下げ政策による物価引き下げ率と連動し、全ての債権価値を強制的にスライドさせる。物価引き下げ政策が「先進国に限定」したのとは異なり、債権の強制値下げは「全世界」で行うのが望ましい。が、債権の大半を握っているのは先進国の富裕層だと思う。
 分かり易く言えば、物価引き下げ率が30%だとしたら、100万円だった借金(債務)が 70万円になるということ。これはつまり、債務者への一定割合の借金免除だ。視点を変えると、債権者に対する一定割合の債権放棄を求めること。さらに国家の視点で見れば、財政赤字の一定割合を債務不履行することを意味する。要は世界同時実施の「部分的なデフォルト」と言えるかもしれない。
 普通、デフォルト(債務不履行)は国が破綻状態になることを意味する。なので、ある国がデフォルトに陥ると、その国は信用を失い、通貨は紙屑同然になり、天文学的なインフレになってしまう。デフォルトとは「陥る」ことであり、故意に起こすものではない。
 それを全世界同時に「起こす」となると、投資家も逃げ場が無くなるので、世界経済は逆に安定を保てる。むしろ事業規模が小さい途上国の方が有利になる。これは結果的に格差縮小に繋がり、世界の経済バランスを大きく変える可能性がある。

 ところで、現在の先進国の多くは人口が減少傾向にある。これを経済力低下の懸念材料として問題視する者も多い。人口の増減はGDPの増減に直結する事案なので。人口が減少しているなら社会インフラを縮小し、右肩下がりにマッチした政策を実行すれば、それなりに安定した社会を営める筈だった。が、残念ながらそれが出来ない事情がある。それが先行投資と借金だ。
 現在の世界経済は、効率化・合理化を極限まで進めている。資本家にとって、現在の秩序は資本主義に最適化された望ましい状態なので、この秩序を守るため常に未来予測し、先回りして資本投下を続けてきた。その額は洒落にならないほど巨額になっているので資本回収には、もはや失敗は許されず、右肩上がり前提の経済政策を続けるしかない。しかし新型コロナのせいで突如、世界の価値観が 180度変わってしまい、先行投資や借金の回収ができなくなった。

 一度進めてしまった時計の針は、もう戻せない。が、時計の針を巻き戻せる方法が一つだけ存在する。それが「全世界同時の(部分)デフォルト」だ。先進諸国が抱える財政赤字は、人類が試し失敗した実験結果が積み重なったものと諦め、ここらで一定割合だけでもリセットするのが妥当と考えてみる。
 それによってのみ、世界は右肩下がりにマッチした適切な経済政策を施行できるようになる。今回のコロナ・ショックは、行き過ぎた資本主義を清算してイチからやり直すいい機会なのだと、ポジティブに捉えるべきだと自分は思っている。

会社や国家が借金をするのは当たり前という「資本主義の神話」は、経済プラス成長ありきの偏った考え方に過ぎない。

 我々は早急にそれと向き合わなければならない。地球の資源は有限だ。無限ではない。生物は環境や植生に依存し、増加したり減少したりする。それは人間も例外ではない。経済成長を永遠に継続するのは不可能だ。冷静に考えれば誰でも分かる事だ。
 経済成長を続けなければ人類に未来はないという考え方は、資本主義が植え付けた脅迫観念に過ぎない。知識人から庶民に至るまで、大多数の人類が「正常性バイアス」に流されていると自分は考える。
 経済は常に「右肩上がり」を維持できる訳ではなく、「右肩下がり」になる事もある。そして、借金さえ無ければ「右肩下がり経済」を恐れる理由はないのだ。さらに言えば、人口減少などの右肩下がり要因にも対応できてこそ、初めて「持続可能社会」は実現可能となる。我々はそれに気付かなければならない。

 そうなると、残念だが東京五輪は白紙に戻すしかない。オリンピックの経済効果を見込んでの先行投資は「旧世界の価値観」に基づいたものだ。それを新世界で回収する手段は存在しない。
 しかし、東京オリンピックを「経済的成功」ではなく、「平和の祭典」としての成功を目指すのであれば、オリンピックの開催はとても意義がある。日本は娯楽作品を通じて「民主主義」を輸出してきた国だ。それだけでも世界の注目度は抜群なのだ。

 知識人は皆、全世界の連帯を呼び掛けているが、誰も具体策を出していない。それは結局、ほとんどの知識人が資本主義陣営側にいるために言い出す勇気が出ないのだ。心の何処かに贖罪の気持ちは持っていると、自分は信じている。この提言を荒唐無稽と一蹴せず、真剣に検討してほしい。
 「全世界同時の(部分)デフォルト」によって、巨額の財政赤字を抱える日本などの先進国も多少は安心だが、何よりも巨額融資の返済に喘いでいる途上国が息を吹き返す余裕ができる。事業規模の小さい途上国で、借金が一定割合チャラになるというのは、大規模な救済措置となる。

 先進国の強制的物価引き下げ政策(株式含む)と低所得者以外の物価連動給与カット、及び全世界同時部分的デフォルトの実行により、途上国にも購買力が生まれる。それはまず健康(医療)と衣食住を支えるために使われ、次の段階では需要に応える産業が育ち始める。これは先進国にとっても魅力的な貿易相手となるはずだ。
 コロナ禍の中にあっても株価が上昇している様を見れば、投機市場に余裕があるのは明白だ。現在、市場に出回っているマネ-の総額は、実体経済を表すGDPを大幅に上回っている。それは債務残高にも言えることだと思っている。社会の利益を吸い上げ肥えてきた人種は確かに存在する。その利益は社会に還元するためにも「債権放棄」という形で返してもらう必要がある。それができるのは・・・

世界中が協力することで初めて出現する「世界共和国」だけだ。

 ただし、これを実行した時、債権者である銀行などが持ち堪えられるのか、ちょっと心配だ。先進国の銀行は、ほぼ0%の金利によって経営が成り立たなくなっている。金利の動かない経済を「資本主義経済」と呼んでいいのか疑問に感じている人もいる。資本主義は既に終わっているのではないか、と。

 現在の銀行は、数兆円規模の都市開発がなければやっていけない。あとは取引銀行としてのコンサル料や手数料収入に頼るしかない。窮地に追い込まれている銀行を、それぞれの企業努力に任せておくと、たぶん銀行の「信販会社化」が起こる。
 現在の政府は「キャッシュレス化」を強力に推進している。背景にあるのは「貨幣制度の民営化」である。詳しくは別のトピックで後述する。これは国際状況を見ての政策だが、これで莫大な利益を得ていると思われるのが信販会社とIT企業だ。キャッシュレス決済では、消費者が買い物をするだけで手数料が入ってくるからだ。
 しかし、キャッシュレス決済には「システム・ダウン」によって一切の取引ができなくなるリスクがある。特に「停電」に弱い。最新設備を誇る「タワマン」でも、停電になった途端に何もできなくなる。日本のように災害の多い国で、現金を持たずに出歩くのは勇気が要るのだ。

 また、キャッシュレス決済手数料を負担するのは販売店側(サ-ビス業)である。その手数料のほとんどをサ-ビス業が負担することへの不公平感が高まっている。実体経済を牽引するサ-ビス業の平均所得は、他の業界よりもずっと低い。「誰でもできる簡単なお仕事」と軽く見られているためだが、巣籠もりしている富裕層が生活に困らないのは、デリバリ-や宅配業者などの実体経済圏が支えているお蔭である。
 その低成長の実体経済から、さらなる搾取を重ねるのでは? という不信感。それが払拭されない限り、日本でのキャッシュレス化は定着しないと思っている。なぜなら、今の日本は世界屈指の「民主主義国家」と言えるからだ。「弱者に不利益を押し付けない」ことが民主主義の本質だ。それが保障されてこそ、市民は安心して暮らすことができる。

 さて、人類共通の脅威を乗り越えた後、新世界での銀行の役割については社会全体で考えていく必要があるだろう。それは銀行法中央銀行のあり方まで問われると思う。
 とりあえず、物価引き下げと借金の一定割合免除により、多少は経済弱者を助けられるが、これだけで長期の自粛生活を耐え抜くのは困難だ。やはり追加の給付金が必要。それには潤沢な財源が要る。すると、株高更新に湧く株式市場に注目せざるを得ない・・・