パンデミック後の新世界を作るために (foussin’s blog)

(『見捨てられた世代』からの提言)

16.高度経済成長期の過大貸付が平成デフレ不況の元凶だった件

 1950年に川崎製鉄所(現・川崎重工業)の鉄鋼部門を分離し川崎製鉄という会社ができ、初代社長に西山弥太郎が就任。当時、川崎製鉄は銑鉄を他社から購入していたが、銑鉄を自社で作る鉄鋼一貫メ-カ-にする方針を打ち出した。当時の資本金は5億円だったが、千葉製鉄所の建設に 163億円を投入。
 有限責任である株式会社は、資本金が仮入金の担保になることで信用取引が成り立つはずなのに、川崎製鉄は資本金の 30倍以上の 163億円を銀行などから借りて製鉄所を建設した。これは株式会社の原理に反することだったが、幸い日本経済は 1955年頃から高度経済成長期に入り、鉄鋼の需要が急増。

 この「西山パラダイム」にあやかり、多くの日本企業が巨額の設備投資をしたことが日本経済の急成長をもたらした。が、1990年代の地価暴落から始まった「バブル崩壊」により、高度経済成長期時代の過大貸付が不良債権として表面化した。
 株式会社は「有限責任」なので、巨額の債務を整理しきれず、結局、公的資金が投入された。過大貸付を返すタイミングは何度もあったはず。バブル期に返せていれば、その後の「デフレ不況」は回避できたかもしれないのだ。

 しかし「右肩上がり」経済下では、借金返済の誘因が働かない。融資で得た利益を、さらに投資に回せば規模拡大に繋がるからだ。それは銀行にとっても明るい未来予測なので簡単に融資増額が承認されてしまう。
 資本主義は「近視眼的決断」の連続によって、いつしか大域的視野を失い、歪みの蓄積を見逃してしまう。資本主義の未来予測など、半分以上は「希望的観測」に過ぎない。その証拠に、規模拡大後の維持コストまでは見通せていない。「右肩下がり要因」が顕在化した途端、規模拡大が維持コスト増大に繋がることを見通せなかった。

 これが戦後の日本を牽引してきた巨大株式会社の実態だ。そして株式会社(有限責任)の「無責任ぶり」が露呈。その反省から企業の多くが「自己資本率」の引き上げに走った。銀行もそれに倣い、自己資本に見合った融資をすることになった。銀行自身の自己資本率も融資額に影響を及ぼした。
 が、それは逆に市場に流通する貨幣量を著しく減少させる悪循環を招く。銀行も自己資本率が枷となり「貸し渋り」が日常化、デフレに拍車を掛けた。貨幣量の減少は労働所得の減少へ直結。この悪循環により、平成不況を堺に「財政赤字」の膨張も始まった。

 平成不況から分かることは「反省の仕方」を間違えたということ。自己資本率を上げ、無駄に内部留保を蓄えるのではなく、現状の自己資本に合わせて会社を分割し、コンパクトにしておけば「貨幣量の減少=デフレ」を招くことはなかったのだ。
 健全な経済発展は乗数効果・波及効果によるマネ-循環が滞らないことが重要なのに、循環に回すべき大量のマネ-を、大企業は金庫に閉じ込めてしまった。
 自己資本率を言い訳にして、企業が内部留保を貯め込み過ぎたせいで財政赤字は膨張したのだ。つまり、企業の内部留保は「財政赤字(国民の税金)」で積み足しされていると言っても過言ではない。

 会社の分割誘因が働かないのは国際競争力への懸念よりも、その後の債務超過が怖いのだ。結局、借金が日本経済の足枷になっているのは、今でも変わっていない。企業が内部留保の切り崩しを始めたのは、「失われた20年」の後半になってからだ。そのせいで平成不況は長期化し、財政赤字は洒落にならない額になっていた。
 皮肉なことだが「東日本大震災(2011年)」が資本所得から労働所得への再分配に貢献したと思っている。さすがの富裕層も、この時ばかりは人道支援に資金を放出した訳。
 ここから得られる教訓は「人間は失敗する」ということ。もしくは、失敗に付け込んで富を横取りする者がいるということ。そして、巨大株式会社を放置するのは、やはり危険すぎるということだ。