パンデミック後の新世界を作るために (foussin’s blog)

(『見捨てられた世代』からの提言)

17.そして「会社法」見直しへ(格差縮小政策は社会主義ではない。民主主義である)

 自分は、共和党自民党が推し進めてきた資本主義を憎んでいる。それは、彼らが民主主義を歪曲したまま資本主義を「ゴリ押し」してきたことが原因だ。
 彼らは「民主主義=資本主義」などという詭弁を恥ずかしげもなく口にする。そもそも、多数決は資本主義(多数派優遇)の論理であって民主主義の論理ではない。多数決をする前に少数派と多数派が対話・議論を重ね、妥協点を探す努力をするのが民主主義の大前提である。

 人間活動において経済は大事だ。社会を維持するために資本が必要なことも理解している。が、資本「主義」に走りすぎるのは異議有りだ。巨大資本の一極集中は「権力」に直結するからだ。
 人が権力に固執するのは、結局「無敵」になろうとするからだ。が、圧倒的権力で無敵を目指すのは民主主義ではない。彼らが目指しているのは民主主義のフリをした「専制君主制」でしかない。その行き着く先にあるのは「独裁」に決まっている。
 一方、協力することで敵を無くしていくのが民主主義である。協力によって無敵を目指す道もある訳だ。「富の一極集中」が民主主義の阻害要因であることは明白なので、だからこそ「所得の再分配」による格差縮小政策は重要だ。再分配政策は社会主義ではなく、民主主義である。

 ピケティが提唱する「累進資本課税」について「それは資本主義ではない。何か別のものだ」と言って反論した人がいる。それに対して、自分は次のように反論する。

もちろん、それは資本主義ではない。それこそが利他主義に基づく民主主義だ

・・・と。まずは資本主義と民主主義が、全くの別物であることを自分は強調しておきたい。「累進資本課税」については、それが最適な格差解消策だと自分も思うが、既に強大な権力を有している富裕層が素直に応じるとは思っていない。貯蓄(元本)を課税対象にすることに反発が起きるのも理解はできる。
 しかし、民主主義の維持のためには、所得の再分配による格差縮小は必須であり、そのためには何等かの「累進課税」が絶対に必要となる。

 で、累進資本課税が嫌なら、法人税累進課税を「国際法」で規定するしかない。法人税率が地球上のどこで商売しても同じなら、各国の再分配政策が骨抜きにされる心配はなくなるのだ。
 ただ、これには企業誘致にやっきになる自治体の猛反発が予想される。また、外貨建て取引によって法人税が骨抜きにされる可能性もある。現状では、各国の物価に格差があるので、そこを突いた法人税逃れも予測できるからだ。

 別の方法では会社法」を世界標準で規定し直すアイデアがある。既存の巨大株式会社は徹底的に分割し、以降は株式会社の合併・買収等を一切禁止にする。この場合、各自治体に「小さな企業」が分散するイメ-ジが想像できる。
 自分の見立てでは、このアイデアが「新世界」との相性が一番良いと感じている。「会社が別の会社を買っても良い」という法律を無効とし、今後はM&ATOB、LBO、持株会社、自社株買い、ストックオプション・・・などは全て違法とする。
 これによって「富の一極凝集」をある程度は避けることができる。そして、巨大資本を必要とする社会インフラの整備には機関投資家の巨額資金を充当させる。

 現在、各国で累進課税が骨抜きにされている最大要因は「グロ-バリズム」であり、それを支える「自由貿易」である。それらによって、本来なら累進性があった各国の間接税(贅沢税)までもが、今は逆進性の高い「消費税(定率課税)」に変わってしまっている。
 そこで、サミット等で「間接税」のあり方を今一度、資本主義の視点ではなく民主的な視点で議論すべきだ。今回のコロナ・ショックによって、資本力に物を言わせた無制限の自由競争にリミッタ-が掛けられたことを忘れないでほしい。