パンデミック後の新世界を作るために (foussin’s blog)

(『見捨てられた世代』からの提言)

31.公共サ-ビスがスマホを介して提供されるのなら、今の通信費は高すぎる

 いきなり話は脱線するが、自分は「サラウンド録音」のデジタル・コンテンツがあまり好きではない。その理由はいくつかあって、まずは専用の再生システムがないと「本来のサウンド」が堪能できないことだ。
 サラウンド録音の作品を「ステレオ再生」で聴くと、音量のレンジ幅が広すぎてピアニシモの音がよく聞こえなかったり、逆にフォルテシモの音がうるさすぎて、深夜に鑑賞している時など近所迷惑にならないかハラハラする。リモコンで頻繁にボリュ-ム操作しなくてはならず、面倒臭い。

 で、何よりも困るのは、作品に対する「感動の質」が、再生システム次第で違ってくることだ。ある作品に感動した話を友人と語っている時、我々は本当に「同じ感動」を共有しているのか、一抹の不安を覚えるのだ。
 個々人の経済力によって再生システムのグレ-ドは決まってくる。同じ作品に対する評価が「試聴者の経済力」次第で変動するというのは、作家にとって良い事と言えるのか? ・・・という話だ。下手すれば、豪華なホ-ムシアタ-を所有している富裕層の評価だけが正当化される事態にもなりかねない。
 これは「公平性」に関わる悩ましい問題だ。自分が作家なら、経済格差に左右されない作品に仕上げたいと思う。その方が、より大勢の人に共感して貰えると思うからだ。そんな訳で自分は、サラウンド録音の作品が好きになれない。

 ステレオ録音でも優れた作品は多い。例えば、ピンク・フロイドの「狂気(Dark side of the Moon)」の完成度は傑出していた。作品の後半に「人の笑い声」が入っているのだが、当時中学生だった自分が初めてこれを聴いた時は、傍に誰かがいるような気がして、思わず振り返ってしまったほどだ。
 ただし、これはレコ-ドで再生した時の話で、CD版ではリアルさが抜け落ちていて、ちょっとガッカリした記憶がある。CD化の時にもサウンド・エンジニア(アラン・パ-ソンズ)が立ち合っていれば、もっとマシな音質に仕上げられたはずだ。勿体無い。
 高級オ-ディオ装置で聴かないと良さが伝わらない作品は、金持ち同士でしか感動を共有できないと思う。自分なら、そんな嫌味な作品は作りたくない。同様の理由から、自分はBS・4K・8K放送も観ないことに決めている。

 ところで、これは「公共サ-ビス」にも言えることだ。常に社会の底辺に寄り添って、彼らと一緒に生きていく。それが公共サ-ビスの原点だと思っている。
 現在、多くの公共サ-ビスがスマホやPC、BS放送などを介して提供されている。それらのサ-ビスにアクセスするには、当然それらのハ-ドが必要だが、それは市民の負担で用意する必要がある。

 つまり、現在の公共サ-ビスの多くは、始めから「市民に元手(資本)がある前提」で提供されていることになる。これでは、誰よりも公共サ-ビスを必要としている「経済弱者」が、それを気軽に利用出来ない状況になってしまう。公共サ-ビスの発信者自身がそういう状況を作り出している。
 市民の消費によって経済は回るので、多少の出費はやむを得ないと思うが、スマホに関わる通信費は、やはり高すぎると思う。国民年収の中央値は 200万円代ぐらいだ。もちろん中央値未満の人も大勢いる。当然、手取り額はもっと安い。

 低所得者層を基準に確定申告をすれば分かる事だが、必要経費に占める通信費の割合は高すぎる。今や光熱費と同等以上の割合に達している。固定電話の時代を知っている自分の世代は、尚さらそう思ってしまう。
 これでは、他に買いたい物があっても我慢するしかない人も多いはず。最近の若者は、お金をあまり使わなくなったという話をよく聞くが、本当は「使いたくても使えない」というのが実情だと思っている。要するにマスコミの論点はズレていて、若者の心情に鈍感だと感じている。

 現在、スマホは生活に欠かせない必須のツ-ルになっている。いわばベストセラ-商品だ。普通なら、売行きに応じて消費者・供給者双方の「利益の最大化」が達成され、次第に手頃な価格帯に収束して然るべきなのに、スマホ使用料は自由競争が働かずに高止りが続いている。
 消費者としては、いくら高額であってもスマホの使用をやめることはできない状況なので、販売側に「値下げ誘因」が働かない訳だ。これが長期化すれば、通信費以外の消費を我慢するのが日常化するだろう。

 つまり、通信費が占める割合の大きさが、他の消費機会を奪っているとも受け取れる。これは、実体経済にとって悪循環の温床になりかねない。
 菅政権が公約として掲げた「ケイタイ料金値下げ」。政府がそれを進める理由は、たぶん民主的な思惑からではない。キャッシュレス(電子マネ-)という新たな貨幣を普及させるために、高すぎるケイタイ代がネックになっている・・・ というのが値下げ推進のモチベ-ション(動機)と思われる。
 現状では、政府と国民の利害は一致しているが、今後どのように推移していくかを懐疑の目で監視する必要がありそうだ。例えば、学術会議の問題は「学問の自由」どころの話ではない。自分に言わせれば「民主主義に対する冒涜行為」と思っているほどだ。

 さて、キャッシュレス(電子マネ-)についてだが、外国に目を向けると・・・ 今や「キャッシュレス大国」と呼ばれる中国では、ホ-ムレスでもスマホを使い、QRコ-ドでお金を恵んで貰っているという。
 国民の大半が公務員であるはずの共産圏にホ-ムレスがいるのか!? というツッコミは置いといて、日本のホ-ムレスがスマホを使って物乞いができるかと言えば、そんなことは絶対に無理だ。日本でのスマホの維持費は「その日暮らし」のホ-ムレスの手に負える金額ではないからだ。

 要するに、キャッシュレス決済は「消費者の資本(元手)」が無ければ成立しない。失業中にスマホ代が払えなくなったら、それだけで社会から弾き出されるリスクがある。
 そうなったら最後、社会復帰するのは先ず不可能だ。なぜなら、お金を得る「手段」が完全に絶たれてしまうからだ。その恐怖心は国民を過剰なまでの強欲に駆り立て、際限なく富を蓄積しようとするだろう。これは格差の不均衡をさらに助長する。

 キャッシュレス決済では、消費者がスマホ・PC・プリペイドカ-ド等のハ-ド費用を負担し、販売店は決済リ-ダ-(ハ-ド)・決済手数料を負担する。決済手数料(販売店の負担)は IT 企業(キャッシュレス事業者?)と信販会社の売上となり、その手数料を使って「決済システム」が構築・維持される。
 要するに「貨幣制度の民営化」だ。で、貨幣制度に関わる企業は更に強気になる。社会に対して一定の権力を持つまでに至り、ますます「値下げ誘因」が働かなくなる。だからこそ、政府による介入が必要となる。

 これは国民負担が非常に大きいシステムで、事実上の増税と言っていい。従来の現金決済では、国が通貨(硬貨・紙幣)の生産費用を負担してきたが、キャッシュレス決済では電子マネ-の維持費用を直接国民が負担する。特にサ-ビス業の手数料負担が大きいのも問題だ。
 通貨(硬貨・紙幣)の生産費用も、元々は国民の税金なので結局同じことではないかという意見があるが、全く違う。税金の柱である直接税(所得税等)は「累進課税」なので、経済弱者へ過度の負担は迫らないのだ。

累進課税とは、言わば「ブ-ト・ストラップ・ル-チン」である。

 これが無ければ社会の「成長」は永遠に始まらない。IT企業の経営者なら、この意味、分かるよな? 最初のハ-ドルを低くすることで、個人や社会の成長を助けているのだ。累進課税は「社会主義的」な産物ではなく、「セ-フティ・ネット」としても必要という話だ。
 ビル・ゲイツもスティ-ブ・ジョブスも、最初はガレ-ジ・カンパニ-からスタ-トしている。この時、累進課税で守られていなかったら、彼らが成功することもなかったはずだ。
 累進課税がセ-フティ・ネットの役割を担っているのを忘れ、金持ちになった途端に「定率課税(逆進課税)」を主張するのは虫が良すぎる話である。

 キャッシュレスには累進課税が働かない欠点があり、格差拡大要因を新たに増やすだけだ。その辺りを議論せずにキャッシュレスを推進するのは強引すぎる。ケ-タイ料金を安くするだけで済む話ではないのだ。

 さて、キャッシュレスの話題を差し引いても、ケ-タイ料金は高すぎる。通信料を安くするには、経営陣の給与・報酬を削るのが一番合理的だ。要するに人件費が適正価格になっていない訳。
 特に IT企業の経営陣は「ストックオプション」で莫大な利益を得ている。数百億円の収入を得る者も少なくない。5Gインフラ整備に金がかかるとか言う前に、役員報酬が高すぎるのだ。