パンデミック後の新世界を作るために (foussin’s blog)

(『見捨てられた世代』からの提言)

32.責任者の顔が見えない商売は信用できない・・・

 自分は個人的に、サブスク(定額制)があまり好きではない。サブスクは一度契約してしまえば、あとは自動的に口座引き落しによる収入が毎月確実に見込める仕組みだ。事業者にとっては非常にオイシイ手法と言える。

 今回のコロナ・ショックで、突然収入が激減した人も多いと思う。そのため支出を抑えたい。特に利用実績の少ないサブスク契約を解約したいと思った人も多いはず。
 ところが、サブスク契約のほとんどは「期間縛り」があり、中途解約には「高額な解約金」を支払う場合があり、解約したくてもできない状況に陥る人が続出する。
 今回は非常事態なので、窓口に相談すれば多少の譲歩が引き出せるかもしれないと思って連絡しても、今度は相手が全く捕まらない。もしくは外国人オペレ-タによる判で押したような対応で心が折れる・・・ こういう目に合った人もいると思う。

 サブスクとか、OOホ-ルディングスと個人事業者(雇われ店長とか)の関係など、責任者の顔が見えない取引に苦慮している人は多いと思う。特にネット取引では、実際に相手と面談することがない。
 社会的信用は経済力だけで決まるものではない。ところが、取引実績で社会的信用度を数値化する試みが密かに進行している。この試みは、特に保険会社などで「クリ-ム・スキミング」を横行させる可能性がある。これは倫理的に宜しくない。

 今、自分が一番厄介だと感じているのは、金融工学を牽引するエリート層の存在だ。特に「暗号資産」を発明したのが誰なのかが、全く見えてこない。ウィキによれば「最初の分散型暗号通貨であるビットコインは2009年に偽名のソフトウェア開発者サトシ・ナカモトによって開発された。」という事らしいが、一般的には全く知名度がない。

 かつては、ポートフォリオ理論でノーベル経済学賞を受賞したブラックやショールズのように、資本主義者を自称する者が華々しく表舞台に登場したものだが、そんな彼らも LTCM の経営破綻以降、表舞台に登場する事はなくなった。

 で、責任の所在が分からないまま、資本主義は暗号資産を既成事実化しようと突き進んでいるように見えるのだ。これが意味するのは「信用創造の民営化」だ。これによって「貨幣制度そのもの」をも民営化しようという思惑が透けて見える。

 こういう事例は、自分の経験では、20年後ぐらいには「あれはやっぱり詐欺だった」とか「そんな事もあったっけ」などと言ってうやむやにされるのがオチだ。少なくとも、暗号資産には「実体経済とのギブ&テイク」が成立しているとは思えない。
 これは、勝ち逃げを目論む資本主義陣営の常套パターンに見えるのだ。思い出してほしい。こういう事例は過去に何度もあった。企業による環境汚染と公害との因果関係が証明されるまでに何十年かかったか。「レコード盤(アナログ)より CD(デジタル)の方が音質がいい」などという虚言で CD の推進をゴリ押しした産業界のやり方を。。。

資本主義の暴走を牽制するには「予防原則」で対抗するしかない。

 科学的知見については、エリート層と一般市民では「情報格差」が存在する。エリート層に「そんな証拠は科学的には証明されていない」などと言われてしまったら、一般市民は何も言えなくなる。
 だが、それは逆に「無害であることの証明もされていない」ことも意味している。そこで「予防原則」という考え方が登場する。予防原則は、フロンガスを規制する時に登場した概念だった。

 信用取引では、お互いに民主的な関係を保てるかが一番重要だ。誰だって誠実な相手と関係を持ちたいと思っているのだ。だからこそ、相手の顔が見えることは非常に重要である。
 そして、仕事とは「相手」との共同作業で成り立つものだ。患者と医者、飲食店と客、経営者と従業員、それらの関係は常に対等である。サ-ビス(労働)と料金は「等価交換」が成立するからだ。それを忘れて「金を払っている方が偉い」と思うのは、資本主義者の思い上がりに過ぎない。