パンデミック後の新世界を作るために (foussin’s blog)

(『見捨てられた世代』からの提言)

24.民主主義は平等ではないが「努力を加味した公平さ」にこだわる

全員平等もいいが、そこに至るまでを否定しちゃいけない。平等じゃなく、公平にいこうぜ。

アニメ「五等分の花嫁」 #11 結びの伝説3日目 ...より引用
(TBS放送 2019.3.22.fri 深夜01:38~)
 

 上記は、アニメの主人公・上杉風太郎の台詞。普段の我々は無意識に呼吸をしている。空気があることを意識することはない。風太郎がこんな台詞をさらっと言えるのも、民主主義が空気のように、当たり前に存在している世界に住んでいるためだ。
 頑張った人が余計に報われるべきと考えるのが資本主義の原則とするなら、富裕層はさほど頑張っていないのに頑張っている人よりも桁違いの利益を上げている。結局は元手の大きさで勝負は決まる。

 富裕層の大部分は不労所得者(資本所得者)だ。ここに資本主義の矛盾がある。この矛盾は、資本主義が「民主主義」の思想を無視していることが原因だ。
 「利己的合理性」だけが人の行動を決めているのではない。人が利己主義だけで動くのだとすれば、そこに民主主義は存在しない。何度でも言わせてもらうが、経済学には民主主義が欠落している。

 経済以前に、民主主義社会が機能するためにも「所得の再分配」は必須のメカニズムであることを「人類共通の知識」として認めなければならない。そして、行き過ぎた資本主義が、民主主義を崩壊させる恐れがあることも認識する必要がある。
 公平な再分配について口にすると、決まって「それは社会主義だ」と罵る者がいるが、それこそ詭弁だ。それは「資本独占によって権力を持とうとする者」が言い始めたプロパガンダにすぎない。騙されてはいけない。

 まず、「公平」と「平等」を混同してはいけない。努力した者が怠慢な者より報われるべきと考えるのが「公平」の真意だ。公平には「努力」が加味されるのだ。平等にこだわり過ぎれば怠け者が現れ生産性が落ちる。共産主義体制の崩壊がそれを証明している。
 民主主義は平等ではないが、多様性を尊重し少数派にも配慮を示す。全ての職業は、必ず誰かがやらなければならないものだ。大衆に迎合するものだけが重要な訳ではない。

 社会にとって必要な仕事をしているにも関わらず、あまり恵まれていない人が居るのは資本主義の歪みが原因だ。様々な仕事が存在する中で、今ほどの所得格差が存在する必然性があるとは到底思えないのだ。
 だからこそ民主主義は「公平さ」にこだわるのだ。所得の再分配は公平さを実現するための仕組みであり、民主主義の維持のためにも必須の仕組みである。