パンデミック後の新世界を作るために (foussin’s blog)

(『見捨てられた世代』からの提言)

36.新世界に求められるのは「大人の責任」である

 最後に、今回の「感染封じ込め」の件で、一つだけ言っておきたいことがある。それは、若者達が「外出自粛要請」に耳を貸さずに出歩いていることについて、世間やマスメディアが批判的なことを言っていることだ。若者はリスクを好む傾向が強いが、それだけではないと思う。
 若者は就業キャリアが短い分、貯蓄もほとんど無いので、何か月も巣籠もりしてやり過ごす余裕が無い。よって、感染リスクが増えると分かっていても、働くために外へ出るしかない。大事な事は、若者が働くために出歩かざるを得ない「本当の理由」に気付く必要がある。つまり今の日本は・・・

民主主義よりも資本主義の論理が勝ちすぎているのだ。

 コロナ禍で売上がないので賃金は払えないと企業は言う。が、賃金が貰えないと生活できない若者は、仕事を得るために出歩かざるを得ない。感染抑制のためには、資本主義よりも民主主義を優先すべきだ。
 2021年1月。2度目の緊急事態宣言で、より明確に見えてきたのは「格差」だった。現在、街中で出歩いているのは低所得層のエッセンシャル・ワ-カ-が大半を占めている。彼らの救済なしには、感染収束も有り得ない話だ。
 新世界での労働人口の大移動は、感染収束後にじっくり取り組めばいい。今やるべきは国民への直接投資として、1か月間の外出自粛を継続できるだけの「一律給付金」の支給だ。その財源として自分は「パンデミック恩赦」というアイデアを出した。

 さらに、若者が大人の言うことを聞かないのは、そもそも当の大人達が「大人らしい行動」をとっていないからだ。国民に外出自粛を呼び掛けておいて、政治家自身は夜の会食を繰り返している。こんな状況で罰則規定を設けた自粛要請など有り得ない話だ。
 しかも、いつまでたっても虐待やいじめ、経済格差、財政赤字がなくならない。そんな社会を作ったのは誰なんだ? 大人達だろ・・・そういう心の声が若者達の行動に表れていると、そう考えるのが自然だ。

 若い世代は感染しても重症化しないので、インフルエンザみたいなもんだろ? と軽く考え、自分勝手に行動する者も多い。これも元を正せば、そういう子供達を量産してきた大人達に責任があり、そのツケを今、大人達は払わされていると考えるべきだろう。
 高齢者の死亡率が高いのは、むしろ当たり前の話。大騒ぎになるのは生き様、死に様に対する覚悟がない証拠だ。大人達こそ、もっと謙虚になるべきだ。さもないと、次のようなことを子供達に言われてしまうぞ。

・・・例えばの話、新世界が来たら、あなたはその喜びの祝いに参加できない。なぜなら、
  「 "今"が正しく守るべき秩序。脅かす者は敵 」
・・・そう言って、家族・隣人・国民・全てを脅し騙してきた、大犯罪人となるから・・・
(ココ・ヘクマティアル)

アニメ「ヨルムンガンド PERFECT ORDER」
#21 NEW WORLD phase 2 ...より引用

 

 執筆当初は、ここでシメる予定だった。我ながら上手くシメたなと思っていたが、読み返してみると何かが足りない。大人に反省を促すだけでは、社会が良い方へ変わるとは思えないと感じた訳。
 で、次は、いや~な感じに蔓延している「社会の空気」を変えなければならないと思った。そうしないと、若年層は自分の考えを堂々と主張する事ができないと想像したからだ。

 誰もが「年上の人間は敬いなさい」と教わった覚えがあると思う。だが、それと同時に「人は誰でも間違いを犯す」ということも肌感覚で知っている。大人だって間違うのだ。
 そして、全ての親は子育てで必ず、何らかの失敗をする(伊丹十三 曰く)。人間とは、長所と短所を併せ持った不完全な存在だ。それは、知事でも首相でも大統領でも国家主席でも、皆同じだ。彼らもただの人間に過ぎない。現人神(あらひとがみ)など存在しないのだ。
 そんな訳だから、彼らのような自治を預かる人間が、素直に過ちを認めたならば、それを赦す寛容さが求められる。同時に、彼らの過ちに気付いた者が「過ちを指摘できる自由」も保証されなければならない。それこそが「社会を健全に成長させる鍵」となる。何を言おうとしているかというと…

社会が病んでいる時ほど「正常性バイアス」は蔓延しやすい。

…このことである。例えば戦時中に「同じ人間が殺しあう戦争は、実に愚かな行為だ」…などと言おうものなら、途端に非国民扱いされた筈だ。しかし今なら、それが真っ当な正論だと誰でも分かる。が、当時は正しい事を言った者が犯罪者扱いされる時代だった。
 「自分の頭で考えた正論」が認められない社会においては、もはや「何が正解なのか」が自分の頭では判断できなくなる。そこで、各々が「空気の読み合い」を始めることになる。これが正常性バイアスを生み出す。

 皆がそれを支持している(らしい)ので、自分もそれに従っていれば大丈夫だろう… そういう、あやふやで不確かな考え方で群衆が同調する様を「正常性バイアス」と呼ぶ。

 それでは、今の日本の何処に正常性バイアスが潜んでいるのか…明快に言えばこうなる→「自分の意見をハッキリ言える人」や「自分の判断で行動できる人」、或いは「生真面目な人」を茶化そうとする風潮、それこそが正常性バイアスそのものである。
 勇気を出して異性に告白した子を「重い子・痛い子」とイジって評したり、イジメを止めようとした子を「うぜー奴」と言って遠ざけたり…。冷静になろう。彼ら・彼女らは「何も悪い事はしてない」のだ。

 これは、今の日本が「自分の率直な意見が言いづらい社会」になっている事の裏返しに他ならない。本当の事を話しづらい空気が蔓延しているのだ。だからこそ、自我や理念を曲げない人へのヒガミが、敵意として表れてしまうのだ。
 なぜこうなったか。それこそがポピュリズムの蔓延であり、それを利用して儲ける事を効率化と呼ぶ資本主義の弊害であり、それによって言論の自由が、そして民主主義が骨抜きにされた結果であると自分は考える。で、これは日本だけの問題ではない。世界中で民主主義が危機に陥っている。
 これは一種の集団洗脳と言っても過言ではない。「何を大袈裟な」と思うかもしれないが、そう感じた人ほど「変な空気」に吞まれ易いと忠告しておく。とにかく、変な空気が蔓延しているのは、社会が病んでいる証拠である。

 そこで大人達は「自分の頭で考えて行動できる若者」を見捨てずに、必ず味方になると約束する必要がある。そうすれば、勇気を出して正しい事をする若者も増えてくれる筈だ。
 逆に、一番やっては駄目な事は、若者が提示した計画を「理想論・空想論」などと評して鼻で嗤って取り合わない事である。それは正常性バイアスに加担する最悪の行為だ。なぜなら、それは大人自身が「空気の支配」から抜け出せていない事を白状したも同然だからだ。
 子供達は、空気の支配から抜け出せない大人達が「自分達を助けてくれない」ことを本能的に見抜いている。だからこそ大人達自身が勇気を出して、空気の支配から抜け出す必要がある。理念を持つ若者の「味方」になる…とは、そういう意味だ。

 そして、何よりも大事なことは、どんな社会を作りたいのかという「主体的な意思表示」である。これを茶化して笑いの種にするなんて、世も末と思うべきだろう。

 

 本編の執筆は、これで完了。後は「あとがき」を残すのみだが、まだ書き終えていない。見栄を張らず、気取らずに等身大の自分を出そうと思っているが、逆にちょっと「重い」かも。自分の人生を振り返っている最中だが、考えが上手くまとまらない。「あとがき」の投稿は、もうちょっと時間がかかると思う。

(「あとがき」へつづく)