パンデミック後の新世界を作るために (foussin’s blog)

(『見捨てられた世代』からの提言)

少数派の味方(経過報告:2021.3月)

2021.03.04 thu:ブログ開設
2021.03.18 thu:pv  8:入金 0 (開設から2週間)
2021.04.01 thu:pv 21:入金 0 (開設から4週間)

 ちょっとへこんでる… 一応、世界で一番公平で民主的な「パンデミック救済策」を提示しているつもりなんだけど… 大衆受けする内容でない事は認めるが、表現者として恥じるような事は書いてないつもり。ここに書いてある事は「ごく当たり前」の話だ。自分の頭で考えれば、きっと誰でも分かる筈。
 アクセス数を増やすため、もっと頑張らなきゃ駄目らしい。数を競うやり方は資本主義の手先になるみたいで嫌なんだけど… とりあえず、ブログ記事にタグ付けしたり、はてブをしたりして、ネットをかき回してみる。とは言え、今の自分には自宅にネット環境が無いので、出来る事には限界がある。

 ところで、自分は「少数派の味方」を自称している。これにはちょっと困った問題もある。自分に「いいね!」をされてしまった者は、社会から「少数派認定」されてしまうかも…って事。
 そうなると「お前に褒められても全然嬉しくねえ!」と思われるかもしれない。が、それは的外れな考えだ。誰にどう思われようと、自分が良いと思ったものを良い…と、堂々と言えるのが「良い社会」だからだ。
 少数意見を煙たがる風潮が蔓延するのは、社会にとって望ましい事ではないと断言する。そうしておかないと、社会全体が委縮してしまうからだ。

 多数派の空気ばかり伺っていると、次第に自分の率直な意見が言えなくなる。それは社会に閉塞感を生み出し、住みやすい社会を作る事が出来なくなる。そして「自分の頭で考える事」をしない大衆の蔓延を助長する。
 そうなると「使って便利なもの」以外は正当な評価を受けなくなる。便利なものは「頭を使わなくても」良い物だと、誰でも簡単に評価できるからだ。

 しかし、世の中には「便利ではないけど良いもの」もたくさんある。その代表例が芸術や娯楽作品だ。作品の評価の根底にあるのは「感動」だ。しかし、人は多様なので、感動するかどうかは人によって異なる。
 それを、自分が理解できないから否定するというのは「人の多様性・可能性」を否定する事に繋がる。少数派の意見は、社会に多様性と可能性を提供している事を覚えておいてほしい。
 特に、芸術や娯楽作品は、根底に民主主義が色濃く反映されている事を、大衆はもっと理解すべきだ。今の状況が今後も続くと、日本でも自由で面白い作品を観たり聴いたりする事ができなくなりそうだと、自分は危惧している。


 本ブログは資本主義に批判的なので、色々と警戒されているかもしれない。一般的には資本主義を批判すると「社会主義」のレッテルを貼られてしまうが、自分は「あくまでも民主主義者」としてこれを書いている。
 社会主義は問題があるが、資本主義にも問題がある。民主主義は一切忖度せず、公平でなければならない。そこで民主主義は、社会主義に対しても資本主義に対しても、積極的傍観者として公平に批判すべきだと考える。

 自分は「利己的合理性」についても批判的なので、ここに書いてある事が実現すると「不利益を被る」と考えて警戒する人(特に資本主義者)もいると思う。が、自分は可能な限り「公平さ」にこだわっている。
 なので「不利益だけを被る読者」がいるとは思っていない。金銭的に減収になっても生活上の実害が無いのであれば、必ずしも損とは言えない筈だ。個人の財産は、その個人が「人間社会の中に居る」からこそ価値がある。それを忘れてはならない。