パンデミック後の新世界を作るために (foussin’s blog)

(『見捨てられた世代』からの提言)

10.人口減少は経済競争では不利だが、それが国力低下に繋がる訳ではない

 政界や産業界は、人口減少が国力低下に繋がる要因だとして危機感を煽っている。が、それは問題のすり替えだ。本当の問題は、財政赤字を次世代に押し付けてきたことだ。人口が減少すると、国民一人辺りの赤字負担額が増えてしまうからだ。
 そもそも国力低下を嘆いている人は、外国を油断のならない「敵」として認識しているから、そう思ってしまうだけの話だ。こういう危機感は敵を想定した感情といえる。勝ち負けを意識した感情なのだ。敵が存在しなければ、国力低下を憂う理由はなく、危機感を抱く理由もなくなる。まあ確かに、実際に敵は存在した。人間の敵は人間・・・ 今までは確かにそうだった。

 だが、注意深く観察すれば、外国には味方も大勢いることに気が付くはずだ。日本は漫画やアニメなどの娯楽作品を通して、いつの間にか民主主義を輸出していた・・・ これは前にも書いたが、それは民主主義を渇望してやまない不遇な市民達を力強く勇気づけてきたはずだ。
 平和な社会の中にいると、人間の敵は人間だけ・・・ と思いがちだが、今回のコロナ騒動で明らかなように、敵は人間だけではなく、脅威はそこら中に転がっている。なので国際社会は協力し、それらの脅威に立ち向かう必要がある。人間同士のイザコザなんてくだらない話だ。

 政財界が人口減少を嘆くのは経済競争で不利になるからだった。では、人口増加に転じたら国民は幸せになれるのか。残念だが、そうとは限らない。人口が増えればトレ-ドオフの関係で「国民一人あたりの命の値段は安くなる」に決まっている。人口が増えすぎると民主主義の維持は困難になるのだ。
 要するに、人口増加は「社会を支える歯車の補充部品」が増えることを意味し、それによって国力が向上しても、ほとんどの国民はただ消耗し、政財界の一部の人間だけが特権を貪ることになる。それでは社会主義国一党独裁と大差ない。
 それは最終的に、国内に安い労動力を隷属させることで国際競争力を高めようとする誘因が働く。現に資本主義は、いつだって安い労動力を求めて途上国に進出していった。政治で国内の最低賃金を上げても全く無意味である。

 高度経済成長期の時代に、ちょうど働き盛りを迎えていた世代は、現在70歳以上になっている。自分の親もそれに該当している。彼らの世代の特徴は、いまだに資本主義を信じていることだ。しかも団塊の世代を含んでいて、世代別人口比率では多数派を占めている。選挙権の上位カ-ストだ。
 それに対して自分の世代(50代)は、働き盛りの30~40代の頃が平成不況の「失われた20年」と完全に丸カブリしていて、悲惨な暮らしを強いられてきた。それでも自分なりに資本主義に貢献すべく効率的に働いてきた。それなのに・・・
 不況が終わった頃には何の蓄えもないまま50代に突入し、もはや資本主義を信じることをやめてしまった。「8050問題」の本質はここにある。資本主義に貢献するのが嫌になって、働くのをやめてしまうのだ。資本主義によって自身が囲い込まれるのを拒否した結果、引き籠もりに追い込まれるのだ。

 平成不況を身をもって体験した自分の世代にとって、親世代の言うこと・やることは、いちいち我々を苛立たせた。勝手にさせておくと孫や曾孫を資本主義者に洗脳しようとする。「子供を産まないのが悪い」「金を稼げないのは怠け者だからだ」などと平気で言われてきた。
 我々の世代は平成不況から学び、今度こそ本物の民主主義を実現したいと思っていたのに、安倍政権によって元の資本主義社会に戻されてしまった。数字の上では不況を脱したことになっているが、実際は米国並に格差が拡がり、相対的貧困者は逆に増加し続けている。自分にとっては、今の自公連立政権の方がよっぽど「悪夢」だと感じている。

 こんな社会の中で、普通の市民は子供を産む気になるだろうか。コロナ禍の今、実際に地獄を味わっている貧困家庭の親子は大勢いる。そもそも、ほとんどの先進国が人口減少傾向にあるのは、行き過ぎた資本主義による当然の帰結と言える。
 資本主義の本質は「早いもの勝ちのイス取りゲ-ム」だ。ある日、欲張りな人がやって来て「二人分のイス」を一人占めしたとする。するとその分、イスに座れる人が減る。子供を産みたくても、その子を座らせるイスがないので断念する。もしくは自分も二人分のイスを取り、それができたら子供を産むかの二托となる。こんな風にしてイス取りゲ-ムは激化、イスの数はどんどん減っていき、経済的に成功した者以外は子供を産もうとしなくなる。

 これが資本主義社会で人口が減少し続けるカラクリだ。だが、民主的な視点で見れば、人口減少は決して悪いことではない。それなのに問題視されているのは、先行投資の回収や借金を未来世代に押し付けてしまったせいだ。膨らみ続ける財政赤字は、人口が減少したら返せなくなるに決まっている。
 右肩上がり前提の経済政策を、これ以上続けるのは現実的とは言えない。それをリセットするためにも「全世界同時デフォルト」は有効だ。その後で、人口減少に合わせた右肩下がりの政策を適切に実行すれば、社会は安定を取り戻せる筈だ。

 現代人は生きているだけで膨大なエネルギ-を消費する。それは地球環境に影響を及ぼす程になっている。そう考えると人口減少は悪い話ではない。人口減少によって人が住まない空白地帯が地球上に増えれば、自然環境の回復も早まる。
 今年(2020年)の日本では、山林の「木の実の不作」によって、熊などの野性動物が人里に下りてくる事案が頻発した。その対策として、柿の木などを伐採して人里から野性動物の餌を失くす取り組みをニュ-スで観ていたが、勿体無い話だと思った。
 伐採ではなく、山奥に柿の木などを植樹してやれば、野性動物と人間の住み分けがスマ-トに実現できると思ったからだ。株高の現状を見れば、マネ-は有り余っているのだ。こういう事にこそクラウド・ファンディングを活用すべきだ。

 人口が増えすぎた社会では縄張り争いが激化し、人命軽視の傾向が強くなる。それは個人の意見の軽視へ繋がり、民主主義の崩壊へ向かう。民主主義の崩壊は多様性の否定であり、その行き着く先にあるのが「戦争」である。民主主義を重視するなら、人口減少は悪い話ではない。
 経済学者のピケティによれば「人口増加は平等化要因」になると言う。人口減少では相続財産が「一人っ子」に凝集されるため、世界の富が一部の資産家に集中し易い。つまり人口減少は「格差拡大要因」になるという話だ。これは事実だと思うが、だからといって人口増加を肯定する気にはなれない。
 なぜなら、人口増加によって社会の平等化が実現できても、そこには社会主義台頭のリスクがあるからだ。経済学のロジックには社会主義の視点が含まれるので盲信は危険だ。平等な社会と引き換えに民主主義が犠牲になるのでは本末転倒だと思っている。