パンデミック後の新世界を作るために (foussin’s blog)

(『見捨てられた世代』からの提言)

13.デフレは「悪」ではない。デフレを長期化させる「思惑」こそ悪である

 まず、結論を言ってしまうと、デフレは「所得配分の不均衡」が臨界に達した時に起こるものであり、経済が自然にバランスを取ろうとした結果「自浄作用」として表れたものに過ぎない。で、デフレを長期化させる「思惑」というのが・・・

デフレの時「今買うことは損になる」

・・・これだ。これは短期的視点の見方に過ぎない。短期的視点とは、ズバリ資本主義陣営の視点だ。資本主義の本質は「利己主義」なので、自己の利益を最重要視する。それゆえ近視眼的になり易く、長期的な展望を考えずに暴走しやすい。

 デフレ不況は元々、富の一極集中が行き過ぎた末の現象だ。具体的には「資本収益率(純資産の成長率)」が「国民所得(GDP)の成長率」を大幅に上回る状況が長期間続くことで、次第に市中の貨幣量が減少する。早い話、富裕層が貨幣の大半を占有するからデフレになる。
 すると労働者の取り分も不足、いつしか消費を冷え込ませてしまう。つまりデフレ不況とは「加熱した資本活動の反動」で起こる。それは歴史を見れば誰でも分かることだ。
 なので、富を独占した当事者たちが「しまった。やりすぎた」と反省し、速やかに余剰貨幣を労働市場に注入してやればデフレは自然に解消する。にも関わらず、経営者に「リストラ」を迫るなど、景気回復に必要なことの真逆の行動をするからデフレ不況は長期化する。

 例えば、平成不況ではバブル崩壊後の「不良債権」を反省し、銀行や大企業がこぞって自己資本率の引き上げに走ったが、それは内部留保を無駄に貯め込むだけだった。その結果、市場に流通する貨幣の減少&供給過多を招き、長期のデフレに至った。
 「反省したから富を貯め込む」とは、随分と身勝手な話だ。本来なら、自己資本に見合うサイズに会社を規模縮小すべきだった。そうすれば「貨幣量の減少=デフレ」を招くことは最初から無かったのだ。

 加熱時の資本家は、利益が「無限」なものと勘違いし、際限なく富(資本所得)を貯め込んでしまう。利益が有限であることを忘れてもらっては、社会の方が困るのだ。
 ところが、デフレを起こした張本人がそれを忘れて「待ち」に入ってしまう。特に、大金が動く「設備投資」のタイミングを遅らせようとする。少なくとも、借金をしてまで設備投資をしようとは誰も思わなくなる。
 また、デフレを見越してさらに値切ろうとする者まで現れるため、それがさらにデフレを助長し、それらは先物価格にも悪影響を及ぼす。産業界がデフレを警戒するのは、この辺りが理由かもしれない。儲かる要素よりも損する要素の方が大きいから・・・。

 待っていれば、さらに物価が下がるのだから「待てる限り待とう」という心理が働くのは理解できる。が、それは既に潤沢な貯蓄(内部留保)がある者にしかできない芸当だ。
 これには(僅かではあるが)、民主的に望ましい一面もある。富裕層が待っている間、貯蓄や内部留保を切り崩して従業員の給与などに充てるので、結果として格差縮小に寄与するのだ。

 だが、この方法には時間がかかり過ぎる欠点がある。そのため、その間のGDPは長期に渡って低迷する。結局その間、労働者の多くが地獄を見るハメになる。失業率も増大、自殺者も増える。
 しかし同時に、このマイナス成長期に労働分配率は「徐々に」改善し、社会は安定し平和になっていく。問題は、平和を取り戻すまでに時間がかかり過ぎること。自民党共和党には、こういう「平和」に対する視点が欠けている。

 長期のデフレによって富裕層や大企業が「待ち」を決め込んでいる間も、低所得者は所得の大半を生活費につぎ込むしかない。皮肉なことに、彼らの些細な消費がデフレ期の経済を下支えする。この消費こそ実体経済のベ-スとなるもので、インフレ・デフレに関わらず変動せずに存在する。
 一見すると、デフレ期の低所得者には「待つ」という選択肢はないように見えるが、物価が下落する分、貨幣価値が上昇するので貯蓄を増やそうとする誘因が働く。で、今は使えないけど、貯蓄がある程度貯ったら絶対使ってやるという消費意欲を保ち続ける。
 彼らには「生活レベルの上昇指向」があるので、それを達成する機会が訪れれば、迷わず消費につぎ込む。彼らに「デフレだからもっと待つ」という余裕はない。

 デフレになると富裕層や大企業は「待ち」に入る。無理に大プロジェクトなどを始動すると逆に大損するので基本的に何もしない。デフレでは貯蓄を増やすのが有利だが、待っているだけなので逆に貯蓄を切り崩さなければならない。
 仮に貯蓄を増やそうと思っても、誰も設備投資をしないので、銀行も貸付先が見つからず貯蓄の運用ができない。そんな訳で、産業界は過剰なほどデフレを嫌う。

 だが、何度でも言うが、デフレというのは元々、経済が自然にバランスを取ろうとした結果の自浄作用に過ぎない。デフレを収束させる一番簡単な方法は、実体経済のベ-スを支えている「大多数の低所得者」への分配率を高めて格差を縮小することだ。
 資本所得者が貨幣の大半を占有したまま何もしないでいるから、市中に流通する貨幣量の減少を招きデフレになる。なので、一番望ましいのは資本所得から労働所得への再分配の実行だ。それが消費拡大を呼び、ごく自然に物価上昇へ向かうのは馬鹿でも分かる話だ。
 政府の政策で分配しても、それは元々国民の税金なので「自分の足を食べて空腹を満たすタコ」みたいなもの。根本的な所得不均衡の是正にはならず、赤字国債を増やすだけとなる。

 資本の一極集中は権力に直結する。全ての富裕層が権力への執着を捨て、自発的に自身の富を周辺に再分配してやればデフレは自然に解消する。が、今度は富裕層同士の駆け引きが始まる。
 ゲ-ム理論はエゴを正当化する言い訳にしか過ぎないというのに、富裕層同士が「囚人のジレンマ」に陥ってしまうのだ。そうなってしまう原因は、資本主義の視野の狭さにある。利己的な合理性ばかり気にしていると、人の幸福追求に「民主的行動」が伴っていることを忘れてしまう。

 デフレの背後には、不公平な所得格差が暗い影を落としている。資本主義に対する不振感が労働意欲や消費を冷え込ませ、デフレに至る。世の中の全ての仕事は、必ず誰かがやらなければいけないものだ。それに対して、今ほどの所得格差が生じる必然性があるとは到底思えない。
 デフレとは、一部の特権階級に富が集中する「搾取」が起こっていることを知らせる自浄作用と捉えれば、全てスッキリ説明がつく。自分が考えた限り、この結論に矛盾はないと思っている。

 長期デフレ時代の後半、日本経済は意外と安定していた。GDP低迷の割に実体経済は堅調だった。それは物価安が国民生活にプラスに作用していたからだ。
 実体経済の主体は中小企業であり、国民である。彼らの多くは真面目に借金を整理し、既に歩き始めていた。借金を返してしまえば、貯蓄が有利に働くデフレは、国民にとっても有利に働くのだ。

 その反面、富裕層は消費一辺倒の日々、内部留保を切り崩す日々を過ごしたと思う。最大の悩みは、インフレ時代に積み上げた借金だ。そしてデフレによる貨幣価値増大が、国家財政を圧迫し続けた。
 しかしこれは自業自得である。富裕層が溜め込みすぎた内部留保を全部吐き出さなければ、デフレは解消しないからだ。その内部留保が市中に還元されれば、あとは実体経済圏が上手く活用してくれる筈だったのだ。
 安倍元首相がよく口にした「悪夢の民主党政権時代」とは富裕層を代弁した意見だ。しかし、デフレが富裕層の資本活動の反動で起った事実には触れていない。庶民はその真意に気付かずに躍らされてきた訳。

 大企業の社員(中所得者層)は元々恵まれているので、彼らが昇給しても貯蓄率が上がるだけで景気回復には意味がない。意味があるのは低所得者への分配率を高めること。それが景気を刺激する最善策だ。生活者の消費こそが実体経済を下支えするベ-スになっていることを忘れてはならない。
 結局、デフレかインフレかは、さほど重要ではなく、不況になる根本原因には常に所得の不均衡が影を落としている。そのため、不況から脱出したければ、まずは格差縮小に取り組むのが正解だ。

 が、富裕層にとって格差縮小に取り組むのは「短期間で利益を放出する」ことを意味する。それなら「長期間の待ち」を続けた方がマシという心理が働き、社会の安定は二の次とされてしまう。
 結局、どっちを選択しても富裕層には「短期的な利益」は望めない。それがデフレ不況を長引かせる原因と言える。ただ、デフレの原因も富裕層が作っているので、そこで「再分配」を重視する民主主義政党を与党にするというのは、理に適った国民判断だろう。