パンデミック後の新世界を作るために (foussin’s blog)

(『見捨てられた世代』からの提言)

最近の時事(緊急事態宣言解除/2プラス2/クアッド):

新型コロナ感染者数(日本国内):
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種別  感染者数    死亡者数
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累計  45万7577人    8849人 (03.21 Sun 18:30 NHK)
単日      1119人      19人 (3/21)
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累計  46万9608人    9078人 (03.28 Sun 20:00 NHK)
単日      1785人      29人 (3/28)
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退院:44万1896人 (3/28 時点)

 首都圏(一都三県)の緊急事態宣言が解除され 1週間が経った。が、上記の表を見れば分かるとおり日本全国で、1週間で1万人以上も感染者が出ている。
 死亡者数の累計も、インフルエンザ例年の死亡者数の2倍を既に超え始めている。新型コロナの致死率は、ワクチンが普及する事で低くなると予想できるが、現時点ではインフルエンザよりも怖い病気だと自覚すべきだ。

 これはもう、明らかに第4波が始まっている。で、これ以上の感染拡大を防ぐ事は出来ないと政府も諦めた…で、諦める理由を探し続けるための2週間延長だったと、そう捉えるしかないだろう。
 ワクチン接種が終われば、また以前の状態に戻り、V字回復できるだろう…そういう楽観論で乗り切ろうと開き直ったと感じた。

 しかし今度は、大阪・兵庫・宮城で感染拡大が始まり、蔓延防止法が 4/5(月)から発出されると発表があった。
 しかも、社会の脅威になり得る自然災害が発生するインターバルは短くなる一方だ。今回のパンデミックは、世界が連帯する絶好のチャンスだったのに、人類はそれを棒に振ってしまった。が、まだ手遅れではないと思っている。

 資本主義は効率的な金儲けを達成するために、正確な未来予測を欲しがる。その未来予測に基づき、タイトな商業ベースのスケジュールを組み、資本投下を行い、利益を回収しようとする。
 ところが、ウィルスには商業ベースのスケジュールは一切通用しない。ウィルス制御を資本主義の叡智によって達成できるという過信が、今の混乱を長引かせている事に気付くべきである。

 そして、ウィルスは簡単に国境を越える。もはや一国だけの政策ではどうにもならない。だからこそ「究極の連帯」が必要だ。
 それは、他国の面倒を見てやるという「上から目線の施し」ではなく、他者と「足並みを揃える事」に意識を集中すべきだ。その一案として、自分は「パンデミック恩赦」というアイデアを示した。目次の 02~05 で、そのアイデアを紹介しているので、是非とも読んでほしい。


 「2プラス2」…よく分からないキーワードだが、とりあえず外交と防衛の責任者を交えた閣僚協議らしい。
 日米会談の後、米国閣僚は韓国やアジア諸国を歴訪。そして各国が連携してアジア・太平洋圏の様々な脅威に対応していく…という事になるようだ。とは言え、国によって温度差があるのも事実。

 さらに米・豪・印・日の4か国首脳会合「クアッド」を開き、中国の脅威に対して連携強化する事になった。これによって、日本人がネットで発言し易くなるのでは、と期待している。
 特にインドが参加したのは心強い。インドは非暴力・不服従運動で独立を勝ち取った国なので。ただ、インドだって「カースト制度」という不平等な国内問題を抱えている。
 この流れを見れば「2プラス2」が、クアッドの事前調整の意味を持っていた事が読み取れる。

 かつて、米ソ対立の代理戦争の場として朝鮮半島が戦場にされてしまった(発端は日本の敗戦によるパワーバランスの崩壊…)。しかも日本は、その後の戦争特需で儲けてしまっている。
 中・朝・韓が日本に悪感情を抱く理由は確かに存在する。それを考えれば、現在の米中対立では、日本列島が戦場にされるリスクは十分ある…日本がスケープゴートにされる可能性はゼロではない。

 なんだかんだ言っても戦争は儲かる。武器弾薬ほど高額な消耗品は他にない。しかも戦勝国になれば敗戦国の権益を手中にできる。
 つまり戦争の基本は、他者にコストを押し付け、その他者から略奪する事に尽きる。コストを他者に押し付ける事は、資本主義にとっては「究極の合理化」なのだ。結局…

民主主義を阻害する要因は社会主義にもあるが、資本主義にもある。

 近隣諸国の本音は「自国が戦場になるのは真っ平だけど、戦争自体は否定しない」…結局こうなる。憲法で「戦争放棄」を宣言しても、「領土不拡大」を明記したサンフランシスコ条約に加盟していない現在のロシア、中国はお構いなしだ。海上でしょっちゅう挑発してくる…
 今の日本は、ロシア・中国・北朝鮮等の挑発行為に対しては「抗議」する事しかできない。それを抗議ではなく「非難」に変えるためには、資本主義が考える「戦争=究極の合理化」を否定する勇気が必要になる。

 他者から奪い取るのは民主主義と矛盾する。よって、資源が乏しい島国・日本が、敗戦を契機に民主国家(他者から奪わない国)として自立するのは非常に困難な道のりだった。そして、それは今も続いている。
 だからこそ、世界は日本に注目するのだ。日本が民主主義を維持するために、どういう知恵を出していけるのか。それは北朝鮮も、韓国も、インドも、中国も、もちろんミャンマーだって注目している事案だ。


 もしも日本が「米国と中国」の仲介役をするのなら、まずはアジア圏と欧米圏では「民主主義に対する認識」が異なっている事実を明確に説明し、それを出発点として交渉を始める事が重要だ。

 かつての欧米には、次のような啓蒙思想があった。

アメリカ「マニフェスト・デスティニー
フランス「文明化の使命」
イギリス「白人の責務」

 これは、当時のアジア・アフリカ圏というのは「未開の地」だったので、圧倒的に優れている自分たちが世界を導くのは当然の事である…という「上から目線」のスローガンだった。
 これが世界の植民地化を正当化する大義になっていた。欧米圏では、この時代遅れの大義を未だに引きずっているとアジア圏の人々は感じている訳。少数の白人層が大多数のアジア圏を管理する…これをアジア圏の目線で見ると「社会主義」の構図にしか見えない訳。
 要するに、欧米圏の民主主義は「白人文化」の中だけで閉じてしまっているとアジア圏の人間は感じているのだ。

 自分が圧倒的に有利な立場の時は他者に寛容だが、そうでない場合は「あからさまな敵意」をむき出しにして襲い掛かってくる。自分の優位性を絶対に譲らない前提条件付きの寛容…これは権力者の「善意の押し売り」…それ以外の何物でもない。
 一方、アジア・アフリカ圏の人々は、自身の不利な立場の中で、地道に「優位性」に翻弄されない本物の民主主義を求めて来た。その努力に気付いてほしいとアジア・アフリカ圏の人々は思っている。つまり、欧米圏とアジア・アフリカ圏では、民主主義の質が根本的に異なるのだ。

 民主主義の質が違っている事実に気付かないのは、他者の多様性に気付かないのと同義である。この不信感を払拭できなければ、アジア圏と欧米圏の公平で民主的な交易は実現できない。
 日本は、欧州から見れば極東の島国だが、米国から見れば西航路で最初に出会うアジアの国だ。そこで日本は、欧米とは異なる民主主義を主張すべきだ。

 それは、資本主義と民主主義を分離して考える事から始める。それらが「別概念の思想」である事をハッキリ明言しないと、利己的合理性を正当化する資本主義陣営に、利用する口実として民主主義が悪用されてしまうからだ。
 日本は、欧米とは異なる民主主義を主張する事で、アジア圏にとって「民主主義が利益をもたらす事」を積極的に発信すべきだ。

 その主張はアジア圏の平和的な結束を促す。国家を分断に追い込み、その隙に侵攻する「20世紀の定石」は狡猾な手段であり、もはや許されない。21世紀の世界平和のためには分断よりも結束、それが何よりも重要となる。
 ついでに言うなら、サンフランシスコ条約が定めた「領土不拡大」原則を、国際規範として国連がなるべく早く採択すべきだ。
 これは戦争の抑止力としては核兵器よりも効果があると思っている。なぜなら、人間は恥には弱い。恥を晒してまで戦争はしない。ま、中国とロシアは否決側を貫くと思うが…


 時事問題としては、2021年4月から消費税の「税込表示の義務化」が始まる。これにはメリットとデメリットがある。これについても触れておきたいが、長くなりそうなので別の機会に改めて書く。