パンデミック後の新世界を作るために (foussin’s blog)

(『見捨てられた世代』からの提言)

目を背けては駄目な気がする(ミャンマー情勢)

 まずは、世界中が見ている事を伝えよう。逆に、何もできずにいる我々もまた、見られている事を自覚しよう。圧倒的な武力・権力の前では、民主主義はあまりにも脆弱だ。
 だが、市民が民主主義を欲するのは「現代人の本能」みたいなものだ。誰だって、自分の個性が否定される事なく暮らせる社会を望んでいるからだ。

 民主主義は常に現在進行形の事案である。つまりゴールがない。とりあえず、ごく当たり前の事だけを書く。

・暴力反対。
・痛いのは嫌だ。
・怖いのも嫌だ。
・自分が嫌なことは、相手にもするな。
・相手が嫌がっているようなら、無理強いはするな(たとえ自分が平気な事でも)。
・他人の命を試すような事はするな(言うな)。

 上記は、当たり前の事しか書いていない。でもやっぱり、当たり前の事が守られてないとしたら、それは非常にマズイ事だ。
 民主主義の根底にあるのは「個人の平穏」が保証される事。それは国家のイデオロギーとは関係がなく、人が持ち続ける自然な感情だ。その感情に対して国家が介入してくるとすれば、間違っているのは「国家体制」の方であると気付くべきだ。

 本編ブログでは「一切忖度しない」と宣言したものの、特定のナニを名指しで批判したりすれば垢停止やブロックの可能性がある。外国資本と無縁のブログサービスは皆無だ。削除される事は「無かった事」にされる事。
 本編ブログで特定の名称を出す場合は、あくまでも「個人的な感想」や「独り言」或いは、そうあってほしいという「個人的な願い」という体裁で書くようにしている。内政干渉などと言われない体裁を整える事に苦慮してきたつもりだった。しかし、そろそろ限界かも…


 欧米諸国のように高圧的に非難しても意味がない。社会主義独裁政権も問題があるが、資本主義だって問題だらけなのだ。問題児同士のいがみ合いになるだけだ。
 平和が当たり前になるように、皆で考える必要がある。で、自分としては多様性を尊重する民主主義が一番大事だと思っている。まずは「官・軍・民」がそれぞれの立場を公にし、円卓を囲んでの対話・議論を重ねる必要がある。

 まずは、今すぐ武力による暴力・殺人をやめるべきだ。それは、これから対話する際、自分自身の立場を悪くする一方だからだ。実際に血が流れてしまった今となっては、その責任追及は逃れられない。

 現時点では、民主的な視点で見ると「軍事政権が何を求めているのか」が理解できない。つまり「何を守るために市民に銃口を向けているのか」という事。
 「選挙で不正があった」という主張は、完全にトランプ政権のパクリとしか思えない。本音は、命懸けで戦っているのに冷遇され過ぎているという主張らしいが、全産業の7割ぐらいが「軍の息が掛かっている」という話も聞く。

 個人的な推測の域を出ないのだが、自由競争市場で苦戦を強いられているのだろうか。それを組織力でねじ伏せようとして強権を発動した…そう考える以外の理由が見つからない。
 そうだとすれば、これは「社会の利益を特定の組織が私物化する」事を意味する。これはやはりマズイ事だ。しかし同時に、自由競争市場を支配する資本主義陣営にも、確かに問題がある。その妥協点を探すためにも対話は必要だ。

 もうちょっと想像力を働かせてみると、次のようにも考えられる。常に敵と対峙している兵士は次第に心が荒んでくる。その兵士の絶望感に対して国民は鈍感すぎる。その怒りが市民に銃を向けさせる。
 そうだとすれば、国際社会がやるべき事は敵対国との停戦であり和平交渉だ。さらに、兵士に限らず、長く続けていると「心が荒んでくる仕事」は他にもたくさんある。そういう嫌な仕事を弱者に押し付けている現実からも、目を背けてはならない。

 今回のミャンマー市民による軍事政権への強固な抵抗は、民主的な「教育」が成果を上げている事を意味している。それと同時に「上官の命令は絶対服従」という軍部の規律が存在し、それには「民主教育」を否定する内容も含まれる。
 つまり、国家の安定には「教育内容の標準化」も非常に重要だ。国際社会は「丸腰の相手に一方的に銃を突きつけるのは犯罪行為」という事を、辛抱強く発信し続ける必要がある。


 民主主義者としては当然、ミャンマー市民だけでなく、台湾、香港市民の事も心配している。日本人の大半は他人事と思っているみたいだが、とんでもない話だ。13億人以上と言われる中国人人口と比較すれば、日本人など間違いなく「少数派」という事実を自覚すべきだ。
 「世界の工場」から「世界のマーケット」へステップアップしようとしている中国の動向を、資本主義は無視できない。が、資本主義は全体主義と同様に、少数派を相手にしない。

 社会主義の問題点は、社会をその外側から管理しようとする指導層が独裁化し易い事。そして市民を「手駒として私物化」する。で、その指導層は「理念を持つ国民の存在」を常に警戒する。香港情勢を見れば、それは明白だ。
 今の日本は「本当の事を言いにくい空気」が蔓延している。理念を通す事が難しくなっている。空気を読む日本人は、自主的に中国化へ傾倒しつつある。
 中国に忖度して民主主義を放棄したら、日本に明るい未来はない。少数派である事を自覚すれば、それは自明だ。少数派を自称する自分が断言しているのだから、これは信じた方がいいよ。