パンデミック後の新世界を作るために (foussin’s blog)

(『見捨てられた世代』からの提言)

2021年4月「税込表示 義務化」のメリット・デメリット

 まずはメリットについて書いてみる。

 正確には「総額表示」という。この名称にはちゃんとした意味と理由があり、それはスーパー等で「まとめ買い」をした時に違いが出てくる。従来の「税抜価格+税」と「総額表示の税込価格」で、何が違うのかを具体例で示す。

    税抜価格 @99 の食品(税率8%)を 2個買う場合は、
    99 * 2 = 198 → 198 * 1.08 = 213.84
    1円未満切り捨てなので会計額は 213円となる。
    (支払った消費税は 213-198=15円)

    単価が奇数値の商品を偶数個買った場合、その合計額は偶数値に
    なる筈だが、合算消費税額は奇数値の「15円」となる…

    これを総額表示に改めると…

    99 * 1.08 = 106.92 → 総額表示106円(端数切り捨て)
    で、税込価格 @106 の食品を 2個買う場合は、
    会計額は 106 * 2 = 212円となる。
    (支払った消費税は 212-198=14円)

 ご覧のとおり、支払った消費税が 1円安くなった。消費税は消費者が負担する税金なので、今後、販売店は14円を税として納めればいい訳。当然だが、総額表示に対応するには、レジのプログラムのアップデートが必要になる。
 これは端数処理の取り扱いが「単品ごとに切り捨て」になり、明快・厳格になった事で、政府・販売店・消費者の誰にとっても「端数による誤魔化し」ができなくなった事を意味している。
 これは、単価が 1円単位で変動する「安い商品」の税負担を「ちょっとだけ軽減」する効果がある。1円未満の端数が発生しない高額商品については、この効果は得られない。

 各商品の「総額表示」価格を合算した合計額が、そのままレジでの会計価格になるという仕組みなので、従来のような端数による価格変動は起こらない。前回の消費税増税時の端数処理の取り扱い方法を取りやめ、元に戻した訳だ。

 先月までは、消費税を少しでも節約するなら「単品買い」に徹する必要があったが、今後はそれを気にする必要はなくなった。今後は、1つの店でまとめ買いをする客が増えるので、販売店も「客層の囲い込み戦略」が練りやすくなる。
 要するに、総額表示には「まとめ買い」を躊躇させる因子が除去され、それが消費喚起に繋がるとも考えられる。

 …と、思っていたら、考えが甘かった。後でスーパーやドラッグストアを覗いてみたら、税込み価格を「1銭単位」で表示している店がほとんどだった。ということは、以前と全く変わっていない。つまり「単品買いが得」で「まとめ買いは損」って事。

  消費者にとっては、レジで会計する際に「消費税が加算される事」を考えないで済むので分かり易いという利点がある。これはタバコ税・酒税のような、従来の間接税と同じ扱いにするという事だ。が、税込み価格が「XXX.XX円」のように1銭単位の表示では、以前と全く変わらない。


 次はデメリットについて書く。

 最大のデメリットは、販売店側の値札付け替えコストが大きすぎる事だ。なぜなら、消費税率の変更は、店で取り扱う「全商品」の値札を書き換えなければならないからだ。
 今後、さらに消費税増税を敢行する時は、販売店に対する損失補填が行われなければ、国民の了解は得られないものと政府も覚悟した方がいい。

 レジのプログラムを「総額表示」に対応するのも、今後は自動アップデート機能が無ければついていけない。スタンドアロンの機械式レジを使っている小売店に対しては、政府が無期限で無償交換できるようにすべきだろう。

 また、値札が「税込価格」に付け替えられる事で「以前よりも値上げされたような印象」を消費者が感じる可能性がある。便乗値上げしたんじゃね? という不信感から財布の紐が固くなる訳。

 「税抜価格+税」の表記では、今回のパンデミックのような非常事態に陥った時に一時的な消費税率の軽減が可能だった。店頭表示が「税抜価格」ならば、急激な景気後退が起こった時、一時的な消費税減税が簡単に実現可能だった。
 つまり、景気状況に応じた流動的な税率変更が可能だった。が、その事には全く触れずに「総額表示」に切り替えた。「総額表示」では「値札付け替えのコスト」が増すので、税率変更が容易にできなくなってしまった。
 これは、簡単には消費税減税が出来ない仕組みを作った事を意味している。つまり「減税」をする事は全く考えていない政府の意思が透けて見える。が、同時にこれは「増税」も簡単には実現しない枷を作った事も意味している。

 今回の税込表示の義務化は、消費税減税がやりにくい仕組みを作った。政府は「外堀を埋める事」に成功したと思っているようだ。が、この考え方は民主主義には程遠い「江戸時代の封建社会」にまで逆行している。
 家康がやったような「国家安康」とか「大坂の陣」とかを現代でやったら立派な「パワハラ」である。今は封建時代ではないのだ。過去に犯した罪や恥は取り消せない。が、昔の人間は精神的に未熟だったので仕方がないと「精神の進化論」で言い訳する事はギリギリできると思っている。

 だからこそ、そういう未熟な行いを現代で繰り返しては「現代人の知性」を疑わざるを得ない。「奴隷制」も「アヘン戦争」も「世界の物価格差」も、現代人と比べたら未熟だった昔の人類の所業…そう考えて清算するのも一つの手だ。

 世界が新ステージへ移行するには、過去の遺恨を赦す精神が必要になるのだ。民主主義は、短期的な利益よりも精神論にこだわる。それこそが人類の長期的な利益に繋がる事を知っているからだ。

 政治家及び政府役人は公務員である。そして公務員は「社会主義に走り易い欠点」を内包している。その事を、国民はもっと理解しなければならない。
 消費税は元々、逆進性が高い間接税で、放置すれば格差が拡大するのは自然の成り行きだった。それをちゃんと説明せずに増税を繰り返してきた。要するに国民を馬鹿にしていた訳。

 1989年の消費税導入、そして三度の増税。この時何が起こったのか。安直に言うなら消費税を容認する「空気」に押し切られたというのが一番簡単だ。なぜなら「誰も責任を取らずに済む」からだ。
 消費税については自民も民主もない。日本人全体の敗北だったと認めるしかない。日本人は国際情勢などを眺めながら「長い物には巻かれろ」という選択をした。そして、それを「空気」のせいにした。そこで結論はこうなる。

「空気」というのは、多数派が責任回避のために発明したプロパガンダに過ぎない…

 以来、空気の中にいる人間は責任を取らなくて済むという判例が既成事実として定着した訳。しかしこれは、日本人が「良心の呵責」に悩まされる根本原因にもなっている。
 例えば、イジメを傍観した者は良心の呵責に苦しめられる。そして、自分が苦しんでいるのは、イジメられる人間が居るのが悪い…などという破綻した論理の正当化が「多数派によって」行われる。なぜなら、傍観者は「多数派」だからである。
 破綻論理の容認は、社会に「空気を容認」する気運があるためだ。気運という言葉も、よく考えると「空気と同義語」だな。空気というのは「入れ子構造」にする事で、余計アヤフヤ感を演出するようだ。

日本人は、そろそろ空気の支配から「卒業」しないといけない。

 「空気の支配」は重大局面の時ほど強まる傾向がある。その実例が太平洋戦争だった。降伏するか戦闘継続するかの判断には、どっちを選択しても重い責任が伴う。それは一個人で負えるような責任ではなかった。
 この時、少数意見を尊重する民主主義が機能していれば、戦争が長引く事はなかった筈なのだ。だが、当時の日本では少数派は「非国民」扱いを受け、真っ当な意見は徹底的に否定された。

 一見平和に見える日本だが、新型コロナは確実に社会の歪みを炙り出した。それに対して、いつまでも見て見ぬフリを続けるのは非常に危険だ。


 消費税の話に戻そう。
 個人的には、税込表示の義務化は撤廃すべきだと思っている。が、コロナ不況で苦しんでいる店側としては「もう勘弁してくれよ」と思っているだろう。
 不景気の真っ最中に税率を上げたり、税制を変更したりするのは、本当に勘弁してほしい。要するに、国民にコストを強いる法改正を不況の最中に行うべきではないのだ。