パンデミック後の新世界を作るために (foussin’s blog)

(『見捨てられた世代』からの提言)

生活のルーティーン(経過報告:2021.4/22):

2021.03.04 thu:ブログ開設
2021.03.18 thu:pv  8:入金 0 (開設から2週間)
2021.04.01 thu:pv 21:入金 0 (開設から4週間)
2021.04.22 thu:pv 40:入金 0 (1か月+3週間)

 駄目だな。色々とブロックされてるみたい。ちなみに、上記の pv に自分のアクセスは含まれていない。自分のブログは、いつもログインした後で見てるので。ネカフェからログインしてるので、ブラウザのブクマ登録も出来ないし…

 自分はただ、世界は問題だらけなのだから良い社会を作っていくには、その問題点に気付いて解決策を見つけよう…と提案してるだけなのだ。それを、自分に都合の悪い事案には蓋をして無かった事にして済まそうとしている。
 当ブログでは、資本主義の矛盾も社会主義の矛盾も公平に扱っている。それぞれの問題点を明らかにする事は、価値観が異なる文化圏が対話のテーブルに着く基盤になるので、目を背けては駄目だと言っているだけである。

 今回のコロナ・ショックでの問題の根っこにあるのは、何よりも国家間の経済格差であり、それが国内の格差問題にまで波及してきていると自分は主張する。そこで重要な事は、上から目線の施しではなく「足並みを揃える事に意識を集中した国を越えた連帯だよね」と訴えている。

 で、現在の問題点を解決し、平和な新世界を迎えるためには、まずは世界中の民主主義者が声を挙げて「世界世論の高まり」を権力者が無視できないように仕向けて行く必要がある。

 シビアに効率化を要求してくる資本主義や社会主義に振り回されると、仕事と娯楽の事しか考えられなくなる。仕事が終わったら、後は娯楽を楽しんで本日はおしまい…後は食って寝るだけ。それが生活のルーティーンになってしまう。
 その気持ちは分かるが、民主主義というのは「常に現在進行形の事案」であることを忘れないでほしい。民主主義を後回しにしていると特に緊急時に、いつの間にか民主主義が骨抜きにされていた事を思い知るハメになる。

 だから、仕事・娯楽・民主主義の3つを「常に生活のルーティーン」として、後回しにしない事が重要だ。3つを合わせたものが「生きる=生活=衣食住」を支えるものという認識が必要だ。
 我々は、とかく「仕事」と「生活」を別概念のものと捉えがちだ。それは効率を重視する資本主義または社会主義に洗脳された結果に過ぎない。本当は、生活という「集合」の中に含まれる1要素として仕事が含まれているに過ぎない。

 生活とは生きる事そのものである。生きる事と仕事を分離するのは、よく考えれば変な話だと分かる筈。仕事を生活から分離されてしまうと、働く人間は「歩く死人」にされてしまうのだ。
 常に本質を見誤らない「自立した考え」を持つ事が重要だ。そうしないと、自分が何のために生きているのかも分からなくなってしまう。

 特に、資本主義・社会主義の両者は「便利と民主主義をトレードオフの関係」にしたがる。便利を餌に民主主義を犠牲にするのだ。だから「便利」に飛びつく前に、慎重に考える必要がある。

 民主主義が機能した社会であれば、そもそも「生理の貧困」などという問題は起こる筈がない。「国民主権」が民主主義の大原則なのだから、国民が必要とする物が行き渡っていないのは、民主が正常に機能していない事を示している。
 その根本原因が、所得の不均衡・不公平による格差拡大にあるのは明白だ。しかも、それは日本だけの問題ではなく、世界中で同時に起こっている。これは、現在の世界経済が「再分配政策が効きにくい仕組み」になっているのが最大の原因である。

 民主主義者の多くは金に執着しない貧乏人が多い。なので、経済力で弱者を救う力は持ち合わせていない。が、知恵なら提供できる。そして少数派を排除せず、少数派の味方として「多数派に反論する勇気」だけは失わないように、肝に銘じている。
 よく「積極的傍観者」という言葉を聞く。その本質は「多数派に意見普請できる勇気」を持つ事だ。自分の場合、それがたまたま「少数派の味方」として具現化しただけと考えている。誰だって、好き好んで少数派になる訳ではないのだ。