パンデミック後の新世界を作るために (foussin’s blog)

(『見捨てられた世代』からの提言)

選挙改革:民主的に見ると『小選挙区制』は問題があると思う…

 本日は『文化の日』(2021/11/03 wed)。題名を見ると『負け犬の遠吠え』とか言う奴が必ず現れると思うが、それこそがエビデンス皆無のポピュリズムだと、最初に反論しておく。

 衆院選2021…重鎮の落選など、多少の波乱はあったが『希望の持てる未来図』までは想像しにくい選挙結果になった。簡単に言っちゃうと、野党が『二大政党制』を戦える状態には、まだ育っていなかった。

 今のままではマズイが、来年には通常選挙(参院選)もある。与野党・国民ともに今回の反省点を踏まえ、もっと真面目に政治に取り組めれば、まだ未来への希望は持てると信じたい。


 が、自分的に一番痛感したのは、その『二大政党制』は崩壊した…という事。それは去年(2020年)の米大統領選を見れば明らかだ。二大政党制の決選投票による『囲い込み合戦』が分断を助長したと言っても過言ではない。誰が見ても、二項対立の構図を強調し『分断』を加速した。

 政治は政(まつりごと)。だから祭り的な熱狂も必要だが、ネットが普及した今では『祭り=炎上→分断』という構図が濃厚になってしまっている。そうしないためにも自分は、民主国家は『中ぐらいの政府』を目指すべきだと考えている。

 分断は多様性の否定へ向かい、結果的に民主主義を破壊する。それを考慮すると、現在の二大政党制を意識した『小選挙区制』をやめて『中選挙区制』に戻すべきだと自分は考える。


 特に今回の『民主主義政党(立憲民主党)』と『社会主義政党(日本共産党)』の野党共闘は、有権者の選択肢を奪う結果になったし、支持団体(連合)からの反発も大きかった。小選挙区制ゆえの一本化に疑問を呈した選挙になった。

 民主主義者の目には『政権交代という目的のために理念を捨てて利害を取った』と映ってしまった。民主主義者の理念に対するリスペクトは重視すべきだったかもしれない。ただ、これは実験としての価値はあったと思う。

 今回の枝野は、民主主義にあるまじき『強権』に走り過ぎた感があった。コロナ対応での自公政権への怒り…それが彼を暴走させてしまったのだろう。

 一本化の割り振りでは、たぶん自民王国・立民王国の地区には立民をぶつけ、それ以外では共産擁立を認める…そういう戦術だったと思うが、共産を推薦された民主主義者の心中は複雑だろう。

 今回の自分は、申し訳ないが小選挙区と比例を別政党にした。今回の公約では、立民よりも、比例に甘んじた『れいわ』の方が自分の心に響いた。だから、自分としては れいわ新選組 は無視できなかった。

 残念だが、今回の立民・市民連合の戦略は失敗だった。が、数の論理を重視する小選挙区制では仕方がなかった気もする。11/2(火)、立民・枝野は代表辞意を表明したが、これは仕方がない。これをやらないと今後の野党共闘や公約の見直しができないからだ。


 そもそも自分的には、今回の立民・国民の公約には不満があった。循環経済の正常化には付加価値税(消費税)よりも『富裕税としての累進課税』が重要というのが自分の持論なので。
 立民が比例票を減らした根本要因は『経済政策の弱さ』にあったと思う。だから今後は、市民連合との政策擦り合わせも再考が必要だ。あと、支持団体『連合』の資本主義(ミクロ・マクロ経済)に対する認識の甘さも、政党公約の弱さの原因になっていると思う。

 マスコミでは『共産との共闘で票が逃げた』という論調が目立つが、それは分かり易さから飛び付いたポピュリズムの典型だ。政策・公約の弱さを有権者に見抜かれていた…結局はそれに尽きるだろう。


 結果的に自民・立民ともに顔を入れ替える『新陳代謝選挙』になったと思う。それはそれで興味深い。今回の選挙では、政党の中で多様な価値観・利害関係を許容する自民党の方が一枚上手だった。状況に応じてカラーを変える事ができるからだ。重鎮の権力が未だに邪魔してるけど…

 民主主義の多様な価値観を別政党に分けて議論するのか、それとも大きな政党の中で派閥分けして議論するのか…二大政党制にこだわるなら、明らかに後者だろう。国民と立民は、そこを理解する必要がある。

 とは言っても、それは難しいよな。妥協できない理念があるから分裂したのだから。そうなると、政治を変えるキャスティングボートを握るのは、分裂野党ではなく『国民の生の声』にならざるを得ない。国民主権だから…

 要するに、政治家は国民の代理人(エージェント)に過ぎない。で、国民が「それは違うだろ?」と言ったら、政治家は自身の理念を取り下げる寛容さも必要って事。状況に応じてカラーを変える柔軟さも必要。are you sure?


 とにかく今回の選挙では、小選挙区制を戦う一本化戦略が有権者の選択肢を奪ったのは明白。結局、『数の論理(二大政党制)』にこだわり過ぎた小沢一郎の失敗…と認めるしかないんじゃないのかなあ……

 二大政党制は『勝った者が総取り』という新自由主義的なルールに基づいている。つまり大多数派(大衆)を優遇する資本主義の策略だ。民主主義にとっては、最初から不利な土俵だったのだ。
 今回、枝野は代表辞意表明、小沢は小選挙区で落選(比例復活してるが)。これは『小選挙区制』を見直す絶好のチャンスだ。野党はこれを活かしてほしい。

 民主主義者は自分と相手、双方の権利を尊重するには『適度の自制心』が必要だと考える。民主主義者は冷酷非情な効率主義者(プラグマティスト)ではない。プラグマティストなら、最初から資本主義者か社会主義者になっている。権力闘争に身を置いてきた小沢は、そこを見誤っている。