パンデミック後の新世界を作るために (foussin’s blog)

(『見捨てられた世代』からの提言)

33.Eテレは、日本の地上波で「本物の民主主義・立憲主義」を発信する最後の砦だ

 「Eテレを売却してNHK受信料を値下げしてはどうか」という提案が、どこからか出ているらしい。Eテレはネット配信で充分だろ? ということらしいが、自分はその意見には大反対だ。

 NHKは企業名を出さないことでスポンサ-依存や宣伝効果から一定の距離を置き、公平性維持に努めている。が、それでも視聴率は気にするので、大衆(試聴者)には逆らえない弱点を持っている。NHK総合では、その弱点が露骨に見えてしまっている。
 ほとんどのマスメディアは大衆には逆らえず、大衆を批判することはタブ-になってしまっている。そんな中、唯一大衆を批判したり説教できる立場にあるのがEテレだ。その根拠となるのが「教育放送」だ。

教育に忖度があってはならないからだ。相手が誰であっても、叱る時は叱るのが教育である。

 そして「本物の民主主義・立憲主義」を発信している放送局も、地上波ではEテレだけである。2020年に放送された「ETV特集」は、パンデミックや民主主義関連に踏み込み、見応えのある番組が多かった。
 Eテレは、地上波で唯一の独自性を持っているのだ。多数派の意見や「損得感情」に流された結果、その独自性が失われてしまったら、国民が「正しい民主主義」を知る機会が、さらに減ってしまうのではと懸念している。
 そうなると、世の中は権力者にとって都合の良い情報ばかりで覆い尽くされてしまうだろう(ネットのように)。権力者にとって資本主義・全体主義社会主義ポピュリズムなどは都合がいい思想だ。それらは大衆を単純な価値観へ誘導し、管理するのに便利な思想だからだ。

 教育放送には、世代間の教育格差是正の使命もある。今と昔では、教育内容もかなり違っている。「昔の常識が今や非常識」という実例もたくさんある。高齢者に「昔の価値観」のまま勝手に行動されると、かえって迷惑な場合も多いだろう。例え相手が年配者であっても、教育に忖度は無用である。
 むしろ大人の方が、教育的指導を素直に受け入れてこそ、本来の「忖度」の意味に合致する。忖度とは「他人の気持ちをおしはかる(推測する・心を読む)」という意味だ。某政治家は「他人=特定の人間を指している」と勘違いしたようだ。
 本来の「忖度」の概念には、特定の人間を依怙贔屓する意図は含んでおらず、必ずしもマイナス・イメ-ジの言葉ではないのだ。なので、自分が過保護な親代わりになって「相手を甘やかす」という意味で使うのは、本来は間違った用法である。

 ただ、言葉は「生き物」であり、時代と共に変化していくものでもある。我々は、忖度という言葉に「新たな意味」が追加された時代に立ち合えたのかもしれない・・・。
 Eテレが「地上波」で存続する意義は大きい。経済格差・世代格差などに左右されず、なるべく多くの国民が試聴できるのが地上波放送の利点だ。地上波放送なら、高齢者でも簡単に試聴できる。という訳で、自分は「Eテレの地上波撤退」に断固反対する。