パンデミック後の新世界を作るために (foussin’s blog)

(『見捨てられた世代』からの提言)

脱炭素:再生可能エネルギー普及を妨げているのは…


2021/11/07 14:02 sun:pv 588【記事総数:91(当記事含む)】

 自民党支持者のブログ投稿の中で、ちょっと気になる記載があった。それは民主主義者の意見を『左派』という一言で片付けようとする論調だ。これって意味の単純化で反対派を抑え込もうとするポピュリズムの典型だと感じた。

 今回のコロナ禍での政府対応への怒りから、民主主義者の発言が過激になったのは事実だが、それを左派として片付けられてしまうのは納得できない。自分はリベラル・革新・左派・保守・右派…とかいう単語が嫌いだ。

 これらは大衆に『対立構図を煽るための単純化されたスローガン』として利用されてきたからだ。リベラルだけど保守…そんな場合もある。そんな単純な話ではない。人の心は常に揺れ動いているからだ。
 そして単語の概念には複数の意味合いが含まれる事も多い。一部の意味だけを切り取る行為は、言葉の世界を貧しくしてしまう。


 自民党支持者の多くは既得権益の内側にいる人間の可能性が高い。特に匿名ブログや SNS ならば…そこを明瞭にしないまま、他者の多様な価値観について自分勝手なレッテルを貼るべきではないだろう。

 同じ理由から、自分は『ゼロコロナ・ウィズコロナ』という単語も嫌いだ。これも、人をどちらかの陣営に強引に押し込めようとするからだ。スローガンやキャッチフレーズを多用する人間はポピュリズムで社会誘導を狙う傾向が強い。

 それが顕著に表れたのが安倍政権だった。例えば『人生100年時代』だ。まるで全国民がそれを了承しているかのように、そのフレーズを多用してきた。それが毎年1万人以上の自殺者が出ている事と矛盾しているとは思わないのか…要するにそれは、弱者の気持ちに寄り添っていない無神経な発言と言える。


 今回の選挙で分かった事がある。それは自民党に圧力をかけても無駄だという事。圧力をかけるべきは、自民党支持団体(支援組織)の方だった。


 日本を『持続可能社会』に作り替えていくには、電気事業連合会(電事連)、ゼネコン、土建組合などを現状維持路線から変えさせなければならないと気が付いた。それを国民の圧力によって達成しなければならないと気が付いた。

 今回の COP26 の対応で日本は、ある環境 NGO から不名誉な『化石賞』を受け取る事になった。これは良いアイデアだと思った。これで自民党も、いつまでも支持団体の言いなりにはなっていられなくなる筈だ。

 支持団体だって、これ以上は自民党に圧力をかける事はできないと気付いている筈だ。「言う事を聞かないと次回は別政党に入れるぞ」と言っても効果はないのだ。別政党の方が、より厳しい要求を突き付けてくるのは明白だからだ。そう考えれば、今回の衆院選も意味があったと思う。

 これ以上、現状維持路線を続けるのは『若者の未来を奪う』事になる。時間稼ぎをして『勝ち逃げ』を狙うのは、もう諦めてくれないかな。本当に迷惑している。

ここからが本題:

 既に再生可能エネルギー発電の技術は実現可能な段階に来ている。それを邪魔しているのが従来の既得権益。で、一番ネックになっているのは『インフラ再整備(小規模発電所の建設)』だろうと想像している。

 再生可能エネルギーの発電方法には、太陽光、水力、地熱、風力、波上発電などがあるが、これらには『地域性・天候・環境依存』の問題があり、電力供給が不安定になる欠点がある。自然エネルギーで電力の安定供給を実現するには、複数の発電方法を組み合わせたハイブリッド型にする必要もある。

 これを従来の『大規模プラント発電』で達成するのは不可能だ。従来のインフラを手っ取り早く再利用できるのは『原発』しかない。だからこそ電事連原発推進派で占められている。

 さらに製造メーカー(三菱重工業など)も原発推進派となり、小型原発を『分散型電源』の位置付けで社会認知させようとしている。
 しかし分散型電源なら、むしろ『再生可能エネルギー』で考えるべきだ。小型原発なら供給不安定のリスクは無い。が、発電所に多数の小型原発が配置される事になり、核の恐怖はより身近になるだろう。

 原発には、第2の福島が生まれるリスクが常にある。それに原発を必要とするのは大都市圏の筈。そのリスクを地方都市に押し付けるのも理不尽だ。本来なら、東京湾や大阪湾のド真ん中にでも建設するのが筋だろう。
 その上で大都市住民に放射線被害が及ばないリスク対策をした上でコスト計算をするべきだ。要するに、今の原発推進派は原発のリスクを公的資金で賄う事しか考えていない訳で、それが『原発は低コスト』の根拠になっている。それはあまりにも無責任だ。


 内燃機関を使った火力発電に頼るなら、水素が使えないかを真剣に検討してほしい。水素エンジンのバイクがある。潤滑オイルと一緒に燃やすので、多少は二酸化炭素が出るが、オイルを生物由来品にすれば『実質ゼロ』だ。
 それは従来エンジンと比べれば CO2排出量は皆無に近く、排気ガスの大半は水蒸気だ。エグゾースト・ノートにこだわるマニアにはたまらない逸品だ。水素だと、空気よりも排気音が高くなりそうだが…

 アンモニア発電も、鉱物資源からアンモニアを精製するのでは意味がない。発電の燃料として鉱物・石炭を輸入するのも腑に落ちない。下水施設からアンモニアを抽出するとかなら、まだ納得できるのだが…

 一方、再生可能エネルギーの発電には地域性・天候依存などの問題がある事から、従来のような『大規模プラント発電所』から放射状に各家庭に電力供給するシステムは実現不可能。そこで、自治体レベルでの小規模発電所を分散型ネットワーク(連系線)で繋いで過不足分を融通し合うシステム構築が必須となる。

 現状の自然エネルギー発電による電気を電力会社に買い取らせるやり方にも修正の余地がある。火力発電で電力が余った時に自然エネルギー発電の方を止めるという矛盾を抱えている。大規模発電は簡単には止められないからだ。
 今後は、余剰電力への対策としては『バッテリー増産(蓄電)』という方向性が望ましいと思う。それによって余剰電力が在庫投資としても扱われる。これはエネルギーの低価格化に貢献すると思う。

 で、再生可能エネルギー発電のインフラ整備では、地域性・天候依存の問題から、発電実績は企業努力だけでは評価できない。なので各発電所をコモン(共有財産)として管理すべきであり、最初は非営利企業(公営)で立ち上げる必要もあると思う。

 これは、電事連が従来の既得権益を失う事を意味する。だからこそ頑なに抵抗している訳。が、電事連がいつまでも大規模プラント方式(原発とか)にしがみついていては、いずれ日本はエネルギー危機に直面する。それは自民党だって気付いている筈だ。

 しかし、再生可能エネルギーへ移行できれば、燃料の輸入代が節約できる。エネルギーの地産地消を実現できなければ SDGs を達成したとは言えない。
 これは内需産業にとっても一般家庭にとっても『エネルギーコスト削減』という大きなメリットがある。普及が進めば、少なくとも若い世代はその恩恵を受けられるのだ。一刻も早く実現するのが大人の責任ではないだろうか。

 特に欧州諸国は、そのコスト削減効果を利用して輸出強化に繋げようとしているようだ。今はコスト高でも、いずれはそうなる。世界が自由貿易の強化に走っている裏には、そういう思惑もあるだろう。

 資本主義陣営は、エネルギー問題が解決すれば『大量生産・大量消費社会』を再開しても大丈夫と考えていそうで、それがちょっと心配だ。口では『地球に優しく』とか言ってても、結局は金儲けが本音らしい。民主主義、どこ行った?

 実際、今回の COP26 では、会場が自然エネルギー産業の商談場所になっている。で、エネルギー産業の転換が遅れている日本に対して、欧州は活発に風力発電などの売り込みを仕掛けて来ている。

 エネルギー価格は産業の付加価値の土台を成すものだ。それを海外に押さえられてしまったら、日本は商品価格を自分の意志で決める自由をも失う事になる。それは独立国という面目も失い、国際競争でも圧倒的に不利になる。

 エネルギーの地産地消が実現できなければ、日本の全産業が海外資本に牛耳られてしまうと言っても過言ではない。

 今回、日本は COP26「脱石炭」声明には参加しなかった。これは賢明な選択だと思う。そうしないと、欧州の再生可能発電システムを強引に買わされてしまうと思われるからだ。

 だが、「まだ大丈夫」とか思っていては手遅れになる。共同声明不参加は、その間に『欧州に追い着くための戦略』だと理解する必要がある。エネルギー生産だけは、絶対に地産地消を実現しなければならない。輸入材を必要とする発電システムでは、日本製品はコスト面で海外勢に負けてしまう…自明だろう。


 ただ、世界中が再生可能エネルギーにシフトすれば、多くの国は内需産業だけでやっていける筈だ。なので自由貿易が儲かるのも一時的だと思う。

 今は国連常任理事国特権を持っている米国・中国・ロシア等が自由貿易に参加する事への警戒は必要だ。彼らは国際協定や国際規格の策定で有利な地位にあるからだ。だが、世界が内需重視の経済政策にシフトしてくれれば、世界は今よりもずっと平和になっている筈だ。

 だからこそ、今後の電事連はクリーン・エネルギーのインフラ建設に積極的に関わるべきだし、それが自身も含めた日本全体の利益に繋がると考えるよう、思考の転換が求められる。

 電力供給網を分散型ネットワークに改める事自体は難しくはない筈だ。既にインターネットという分散型ネットワークが存在しているのだから。そして、内部留保や配当金を死蔵させている大企業や投資家も、巨大資本を吐き出すなら、それは今じゃないですか?

選挙改革:民主的に見ると『小選挙区制』は問題があると思う…

 本日は『文化の日』(2021/11/03 wed)。題名を見ると『負け犬の遠吠え』とか言う奴が必ず現れると思うが、それこそがエビデンス皆無のポピュリズムだと、最初に反論しておく。

 衆院選2021…重鎮の落選など、多少の波乱はあったが『希望の持てる未来図』までは想像しにくい選挙結果になった。簡単に言っちゃうと、野党が『二大政党制』を戦える状態には、まだ育っていなかった。

 今のままではマズイが、来年には通常選挙(参院選)もある。与野党・国民ともに今回の反省点を踏まえ、もっと真面目に政治に取り組めれば、まだ未来への希望は持てると信じたい。


 が、自分的に一番痛感したのは、その『二大政党制』は崩壊した…という事。それは去年(2020年)の米大統領選を見れば明らかだ。二大政党制の決選投票による『囲い込み合戦』が分断を助長したと言っても過言ではない。誰が見ても、二項対立の構図を強調し『分断』を加速した。

 政治は政(まつりごと)。だから祭り的な熱狂も必要だが、ネットが普及した今では『祭り=炎上→分断』という構図が濃厚になってしまっている。そうしないためにも自分は、民主国家は『中ぐらいの政府』を目指すべきだと考えている。

 分断は多様性の否定へ向かい、結果的に民主主義を破壊する。それを考慮すると、現在の二大政党制を意識した『小選挙区制』をやめて『中選挙区制』に戻すべきだと自分は考える。


 特に今回の『民主主義政党(立憲民主党)』と『社会主義政党(日本共産党)』の野党共闘は、有権者の選択肢を奪う結果になったし、支持団体(連合)からの反発も大きかった。小選挙区制ゆえの一本化に疑問を呈した選挙になった。

 民主主義者の目には『政権交代という目的のために理念を捨てて利害を取った』と映ってしまった。民主主義者の理念に対するリスペクトは重視すべきだったかもしれない。ただ、これは実験としての価値はあったと思う。

 今回の枝野は、民主主義にあるまじき『強権』に走り過ぎた感があった。コロナ対応での自公政権への怒り…それが彼を暴走させてしまったのだろう。

 一本化の割り振りでは、たぶん自民王国・立民王国の地区には立民をぶつけ、それ以外では共産擁立を認める…そういう戦術だったと思うが、共産を推薦された民主主義者の心中は複雑だろう。

 今回の自分は、申し訳ないが小選挙区と比例を別政党にした。今回の公約では、立民よりも、比例に甘んじた『れいわ』の方が自分の心に響いた。だから、自分としては れいわ新選組 は無視できなかった。

 残念だが、今回の立民・市民連合の戦略は失敗だった。が、数の論理を重視する小選挙区制では仕方がなかった気もする。11/2(火)、立民・枝野は代表辞意を表明したが、これは仕方がない。これをやらないと今後の野党共闘や公約の見直しができないからだ。


 そもそも自分的には、今回の立民・国民の公約には不満があった。循環経済の正常化には付加価値税(消費税)よりも『富裕税としての累進課税』が重要というのが自分の持論なので。
 立民が比例票を減らした根本要因は『経済政策の弱さ』にあったと思う。だから今後は、市民連合との政策擦り合わせも再考が必要だ。あと、支持団体『連合』の資本主義(ミクロ・マクロ経済)に対する認識の甘さも、政党公約の弱さの原因になっていると思う。

 マスコミでは『共産との共闘で票が逃げた』という論調が目立つが、それは分かり易さから飛び付いたポピュリズムの典型だ。政策・公約の弱さを有権者に見抜かれていた…結局はそれに尽きるだろう。


 結果的に自民・立民ともに顔を入れ替える『新陳代謝選挙』になったと思う。それはそれで興味深い。今回の選挙では、政党の中で多様な価値観・利害関係を許容する自民党の方が一枚上手だった。状況に応じてカラーを変える事ができるからだ。重鎮の権力が未だに邪魔してるけど…

 民主主義の多様な価値観を別政党に分けて議論するのか、それとも大きな政党の中で派閥分けして議論するのか…二大政党制にこだわるなら、明らかに後者だろう。国民と立民は、そこを理解する必要がある。

 とは言っても、それは難しいよな。妥協できない理念があるから分裂したのだから。そうなると、政治を変えるキャスティングボートを握るのは、分裂野党ではなく『国民の生の声』にならざるを得ない。国民主権だから…

 要するに、政治家は国民の代理人(エージェント)に過ぎない。で、国民が「それは違うだろ?」と言ったら、政治家は自身の理念を取り下げる寛容さも必要って事。状況に応じてカラーを変える柔軟さも必要。are you sure?


 とにかく今回の選挙では、小選挙区制を戦う一本化戦略が有権者の選択肢を奪ったのは明白。結局、『数の論理(二大政党制)』にこだわり過ぎた小沢一郎の失敗…と認めるしかないんじゃないのかなあ……

 二大政党制は『勝った者が総取り』という新自由主義的なルールに基づいている。つまり大多数派(大衆)を優遇する資本主義の策略だ。民主主義にとっては、最初から不利な土俵だったのだ。
 今回、枝野は代表辞意表明、小沢は小選挙区で落選(比例復活してるが)。これは『小選挙区制』を見直す絶好のチャンスだ。野党はこれを活かしてほしい。

 民主主義者は自分と相手、双方の権利を尊重するには『適度の自制心』が必要だと考える。民主主義者は冷酷非情な効率主義者(プラグマティスト)ではない。プラグマティストなら、最初から資本主義者か社会主義者になっている。権力闘争に身を置いてきた小沢は、そこを見誤っている。

自分の立ち位置と『日本の政党』の簡単な説明(選挙の参考に)

 明日(10/31)は衆院選だ。期日前投票で済ませてしまった人も多いとは思うが、選挙に備えて「どの政党に入れれば良いのか分からない」という若年層のために、日本の政党を簡単に説明しておきたい。

自分の立ち位置:

 が、その前に、公平を期すために、自分の立ち位置も明言する。まず、当ブログでの自分なりの取り決めとして『著名人は敬称略(呼び捨て)』にしている。『さん付け』呼称では、なんか馴れ馴れしい感じがするし、下心が出てきそうになるでしょ。
 公平中立を重視するブログなら、特定の個人と親密になる事は控えるべきと考えての『呼び捨てルール』なので予めご了承ください(もっと早く書くべきだった…)。
 報道では『氏』呼称が多いけど、多くは『容疑者や犯罪者』との差別化で使用するケースが目立つ。マスメディアが人名を呼び捨てにする訳にはいかないだろうから仕方ないけど、公民権等の有無で呼称を変える…そこにモヤッとした違和感を覚える訳。
 ただし皇室とその血縁者だけは唯一の例外とする。10/26(火)から、眞子さまは『眞子さん』になった。皇室だって人間に変わりない。が、憲法に記載された特殊性を、どう捉えれば良いのか自分には分からない。

 当ブログは、フェイクやヘイトを書き散らかして大衆を煽る『匿名ブログ』とは断じて違う。自分は Web上では『パブロ・フーサン(pablo foussin)』と名乗っている。戸籍上の本名はブログトップの【寄付を乞う】のリンクに書いてあるが、実は自分は、自分の本名(というよりも家系)が好きではない。だから本名呼びは NG で頼む。

 さて、自分の政治的立ち位置だが、一言で言えば『無党派の民主主義者(無職・58歳・男性・独身・西東京市在住)』になる。
 自分は 2001年から西東京市に住んでいるが、ここはずっと自民が強い自治体だ。その理由は『土木・建設業界従事者』が多いためと思われる。あちこちに『東京土建』のポスターが貼ってあるし。

 ちなみに現在、西東京市と隣接する埼玉県新座市が『財政危機』にあるのだが、それには出版業界の不振と同時に、土建組合員の流出があると自分は睨んでいる。市議会の構成を見れば分かるが、いつの間にか自民党が消えてる。
 彼らは開発可能な宅地造成地を求めて、イナゴの大群のように移動しているように見えるのだ…なんか、自治体を食い物にしてるように見えるのは気のせい?


 で、自分は生まれついてからずっと少数派なので『一番マイノリティに優しそうな政党』を選びたい。それと『民主主義ファースト、資本セカンド』を体現してくれそうな政党を選びたいと思っている。
 これは基本的に『安全第一』という標語とほとんど同じ意味だ。この標語は『安全第一、仕事は二番』という意味だから…

 民主主義(デモクラシー)は多様性を重視する。そのためには、資本主義(キャピタリズム)から『主義(イズム)』を切り離す必要がある。主義という概念は価値観の単純化に向かい、多様性を軽視するからだ。こんな事は、とっくの昔にジョン・レノンが指摘している。


 最近は、ほとんど立憲民主党に入れているが、立民のマニフェストを全肯定している訳でもない。現実的に自民票を削れる政党として立民を選んでいる。
 が、小選挙区制の制約もあって、自分の選挙区に立民が出ない事もある。その時は立民・国民・市民連合などが推薦・擁立する政党に投票する事になる。

 そんな訳だから、立民が与党になった時は、他党の政策にも耳を傾けて公平な政府運営をお願いしたい。そうしないと、サンダースの協力を得られないバイデンみたいになって、分断を助長する結果に成り兼ねない。
 民主主義は多様性を重視するので、対話を重ねるうちに公約が薄まる事もある。それはそれで民主主義が正常に機能した結果だと受け止めるつもりだ。

公約以外で何をやらかすか…そこが何よりも重要

 各党の公約だけ見ていると、どれも似たり寄ったりで、誰に投票しても同じ結果になるような気になってしまう。それは政治に対する国民の不満解消が、選挙の勝敗を分ける事を政治家も知っているからだ。

 が、重要な事は、当選後に『公約以外の事で何をしでかすか』だ。例えば戦後補償だ。先の戦争で大勢の民間人が犠牲になったが、その大半が全く保証を受けられず『受忍』を強いられてきた。
 一方、軍人・軍属への保障には『現在の貨幣価値で60兆円以上』が使われてきた。これには当時の厚生省が軍人・軍属で占められていた事が影響している(参考:NHKスペシャル『忘れられた戦後補償(2020年8月放送)』より)。

 軍人・軍属の家系なんて、人口比率にすれば 0.1% にも満たないだろう。それが 60兆円となれば、国民給付金の 14兆円なんて屁みたいなものだ。しかも軍属への保障は、受忍を強いてきた国民の税金で賄われている。
 『世襲議員・官僚』には、こういう裏事情もある。特に厚労省は、未だに軍属保障の所管官庁を担っている。選挙前だからこそ、こういう情報をマスコミは出すべきだろう。

 要するに、政治家による立法・行政の私物化が公然と行われてきた。安倍政権では『森・加計・桜・学術会議』と行政の私物化が行われていた。
 さらに危険なのが『TPP・日米FTA』等の自由貿易協定だ。これは世界の権力者(巨大資本)による国家の私物化を認める協定に成り兼ねないもので、政治の世界には民主主義が根付いていない事を示している。

政党の種類:

 日本の政党には『資本主義政党』『社会主義政党』『民主主義政党』『宗教政党』『地方政党の国政参加』などがある。「どの政党に投票すればいいか分からない」という人は、政党の『行動原理』を理解する必要がある。
 で、どの政党にも『支持団体』というものが存在していて、彼らの要望を最大限汲み取ろうとする。さらに各党には、党存続のための収入源がある。特に、新たな立法・条例の実施が『党の収入』に影響する場合の攻防は熾烈を極める…

 つまり、行動原理と支持団体、収入源が分かれば、あなたが誰(どの政党)に投票すれば良さそうか、という事も自然に見えてくる。ただ、支持団体や収入源については、個々の政党を調べる必要がある。それをこのページでタイトに説明するには、選挙までにあまりにも時間が無さすぎるので、それは断念した。

資本主義政党の行動原理:

 資本主義政党は『利害関係』で票を集める。分かり易い例が「ゼネコンや土建組合に便宜を図り『箱物行政』をやるから、組合員全員でウチの党に入れてくださいね」…というやり方だ。
 資本主義政党には、本来なら公平であるべき行政サービスが、一部の国民だけ優遇される不公平がまかり通ってしまう欠点がある。が、経済政策には精通しているので(金儲けが得意)、国民も彼らに依存したがる一面もある。長い物に巻かれて栄えたいと考える人は特に…

 だが、資本主義政党が言う国民とは『全国民』を指すとは限らない…だから、どんな『言い回し』をしたかを注意深く覚えておく必要がある。しかも経済に精通しているが故に既得権益者(票田)とグルになり易い。それが長期政権になったら、腐敗を招くのは容易に想像できると思う。

 代表的な資本主義政党として、自由民主党(自民党)、米国共和党、米国民主党などがある。注意すべきは、米国の二大政党は『どちらも資本主義政党』だという事。
 共和党は『労働階級(主に白人層)』、民主党は『インテリ階級(富裕層)』を票田としていて、名前に『民主』が付いていても結局は資本主義陣営だ。冷静に見れば有色人種に選択肢はなく、米国に真の民主主義が根付いているとは言えない状況だ。

社会主義政党の行動原理:

 社会主義政党は『社会政策』で票を集める。なので選挙公約だけを見ると、社会主義政党が一番マトモに見えてくる。しかし社会主義では、その政治指導者が権力者に変質し易い欠点がある。
 国民の意見よりも『社会計画』が優先される…それが独裁化へ走らせる定型パターンになっていて、社会主義は国民に同一の価値観を押し付けてくる。それが『全体主義』だ。それは多様性を重んじる民主主義とは非常に相性が悪い。むしろ資本主義の方が相性がいい。

 資本主義は多様性を軽視し、多数派である大衆に迎合する(ポピュリズム)。これは実質的に全体主義と同じ手法で大衆を誘導する。大衆誘導によって効率的な金儲けを実現する…この点において資本主義と全体主義は本質的に同じである。
 こう考えると、万が一にも自民と共産が連立を組むと、中国共産党のような『強権政権』が誕生するリスクがある訳。そんな訳で、立民と共産の閣外協力というのは、民主国家にとってのギリギリの妥協案と言える。

 社会主義誕生の発端は、外部からやって来る強欲な資本主義から国民を守る事から始まったが、周りが資本主義や民主主義国家だと価値観の対立によって、どうしても外交的に上手くいかないジレンマを抱える事になる。
 社会主義者のほとんどが『民主的な社会主義』を理想論として掲げるが、頑なに実現しようとすればするほど指導者の強権化に傾倒してゆく。国民みんなの合議制で社会のあり方を決めるというなら、それは社会主義ではなく『民主主義』と呼ぶべきだと自分は考えている…

 ただ、国民みんなの合議制で『共産主義体制』が樹立される事は無理があると自分は考える。共産主義が歓迎されるのは、努力が報われない時代が長期間続いて生存権さえ脅かされてきた『貧困国』に限られるだろう。
 逆に言えば、世界のどこかで共産主義国が誕生したとすれば、それは『世界の方に排他的な何らかの問題がある』…そう考える事もできる。

 日本では『日本共産党』が代表的な社会主義政党だ。微妙な所では『日本社会党』の流れを汲む『社会民主党(社民党)』も含まれるかもしれない。彼らは『社会民主主義』と称している。これは米国のサンダースと同様の考え方だと思う。

民主主義政党の行動原理:

 国民みんなの合議制で社会のあり方を決めようと訴える…それが民主主義政党の行動原理になる。この時、特に重要となるのが『前政権』の政策で取り残されて不遇を強いられた弱者の意見を取り入れる事だ。
 不公平、不平等の是正に取り組まなければ多様性は維持できないからだ。次の政権の最初の仕事は『資本主義(多数決)の矛盾』を是正する事だと思う。

 日本では永らく『団塊の世代』が多数決で政治を治めてきた。彼らが若い時は労組を強化したが、その大半が管理職に格上げされると、今度は労組の弱体化を進めてしまった。これはちょっと自分勝手だと思う。
 今や若者は、政治の世界では少数派だ。若者の意見に耳を傾けずに『現状維持路線』で来た事が日本の低成長の最大要因だ。まずは、政府与党に陣取っている『重鎮達』には退場してもらう必要がある。彼らは儲け過ぎているので問題があるのだ。

 自分が体験した『失われた20年』では、大企業は『デフレだから何もしないで待つ』という戦略しか採らなかった。自己資本率の増強、内部留保の増大、配当金の増大によって貨幣は死蔵され、実体経済の循環を破壊した。
 民主主義は少数意見を尊重する。それは世代間格差の解消にも貢献する。多数派によるポピュリズムは、常に少数派を排除する方向へ向かう。多数派を優遇する日本の資本主義は現状維持を望む傾向が強いので、それが日本を停滞へ追いやったとも言えるのだ。

 さて、民主主義政党の最大の弱点は、所詮は『少数派の集まり』に過ぎない事だ。これは多数決で『票が割れる原因』になる。そのため民主主義政党が与党になる確率は元々低い。それを懲りずに馬鹿正直に続けてきた。これは誠実さの表れでもあるのだが…
 もう一つの弱点は、経済政策においては素人に近く、非常に頼りない所だ。経済学の専門家の言う事を鵜呑みにしそうで不安だ。現に立民は、消費税については時限的減税と言っている。
 また、自由貿易の危険性を理解していない感じがする。米中の二大大国と距離を取って自立国家へ導けるかも不安が残る。それは自民も同じだが…

 日本が自立を目指すなら、台湾や韓国を重視する姿勢を見せる必要がある。中国と台湾が同時に TPP 申請してきた事に対して、自民でも結論を保留したままだが、それは火中の栗を誰が拾うかで迷いが出たためだろう。
 政権交代を果たした時、立民に火中の栗を拾う勇気があるのかが試されるだろう。自分としては、自由貿易自体に問題があると思っているので、日米FTA とTPP の見直しも公約に入れてほしかったのだが…実現の有無はともかく、意思表示は明確にすべきだろう。

 現在の日本では、立憲民主党、国民民主党、れいわ新選組が民主主義政党になる。立民と国民は民主党民進党の流れを汲む政党だ。今後は、自分は支持政党を明言する事にした。で、今回は、自分的には『小選挙区→立民』『比例代表→れいわ』に入れる。

宗教政党の行動原理:

 世界では『キリスト教』『ユダヤ教』『イスラム教』『ヒンドゥー教』『仏教』などの宗教があり、宗教規律が生活様式にまで介入してくるため、その違いが分断や紛争の火種となってきた。
 それについては、日本では『政教分離』の原則が定着していて、とりあえず大規模な紛争は起こっていない。が、宗教団体を支持母体とした政党は存在している。創価学会(仏教系)を支持母体にしている公明党がその代表的存在だ。

 公明党は、政策的には是々非々の立場を採っているようだ。もちろん支持母体の意向を取り入れて活動していると思うが、一般国民には利害関係が分かりにくいので、何となく警戒感を持つ人も多いと思う。

地方政党の国政参加:

 東京を活動拠点とする『ファーストの会』、大阪を拠点とする『日本維新の会』がこれに該当する。基本的には『是々非々で事に当たる』というのが彼らのスタンスだが、両者ともに自民党からの分裂会派と捉える事もできる。それが民主主義者を不安にさせている…と伝えておく。

 ファーストは今回の国政参加を見送ったが(擁立断念)、維新は準備万端で、膨大なマニフェストを pdf で公開している。維新の選挙公約には『自民との相違点』もあって、割と納得できる内容になっている。

 が、これはあくまでも個人的見解だが『野党共闘の票割れ』を狙った自民の差し金の疑いも捨てきれないのだ。総裁選の時、野田の公約は自民寄りではなく、明らかに『野党寄り』だった。
 これは決選投票を狙った派閥戦略だろうと自分は考えた。維新の戦略は、かつての『新自由クラブ』の保守二党体制の再来のようにも見える訳。つまり維新の目的は『自民との連立』じゃないの? という不安が拭えないのだ。総裁選の権力闘争を見て、尚更その疑念が膨らんでしまった…

今後の日本の針路を考える:

 今後は『再生可能エネルギー政策』や『都市鉱山の資源化』を本気で取り組み、株式投資ではなく研究投資、設備投資、就労者への直接投資へ切り替えなければならない。何もしなかった大企業は『分割』し、外資に依存する産業構造から脱却しなければならない。

 再生可能エネルギーの発電には『地域性・天候依存』などの問題があり、従来のような『大規模プラント発電所』から放射状に各家庭に電力供給するシステムとは相性が悪い。つまり、自治体レベルの小規模発電所を分散型ネットワークで繋いで過不足分を融通し合うシステム構築が必須となる。

 そのためのインフラ整備では、地域性・天候依存の問題から、発電実績は企業努力だけでは評価できない。なので各発電所をコモン(共有財産)として管理すべきであり、最初は非営利企業(公営)で立ち上げる必要もあると思う。

 あと、インバウンドに依存した景気対策は、結局は海外に依存した他力本願な政策に過ぎない。さらに、国際分業論を根拠とする自由貿易が、現在の『世界的物価高』を引き起こしている事も認めなければいけない。
 つまり、他力本願をやめて自立した国家を目指す…そのためにも内需重視の経済政策は非常に重要になる。


 さて、ここまでの説明でも誰に投票すべきか決めかねている人には、次の言葉を贈る。

曇りなき眼(まなこ)で見て、決める。(アシタカ)

映画『もののけ姫』より